2021/8/11 好きなこと、ワクワクすること、仕事

ぎばーノート~ギバー(Giver)という生き方の記録

夜と霧

二日前、「2021/8/9 夜と霧」というタイトルで文章を書いた。8月9日の文章では、まだその小説の核心に触れていないが、自分のミッションやビジョンを見つけるのに、大変貴重なヒントが隠されている。極限状態の中で、生きる望みをつなぐ際、考えに考えに考えて、最後に至ったある一つの尊い考えに胸を打たれる。

「生きる意味を問う」という章から、以下を抜粋したい。

ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考えこんだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。

『夜と霧 新版』 ヴィクトール・E・フランクル 池田香代子訳 みすず書房 No.1558

この話、実は、「2021/7/31 8人の友人に聞け」で書いている「天職」(Calling)の話に通じている。天職は自分では見つけられない、人はどうしても好きなことをやろうととしてしまう、それは自分のエゴが決めているという話だ。

フランクルが言っている意味は非常に深く難しい。私は、受動態に変えてみると分かりやすいと思った。私なりに解釈すると、私という一人の人間は何を期待されているのかということである。ここでは「生きること」から何かを期待されていると表現されているが、これをどう捉えるかが難しい。私は、「生きること」は所与なのだと言っているのではないかと理解した。毎日毎日を過ごしているこの「生きる」という営みは放棄できる対象ではない。それは絶対的に受容する中で、さて、そこから何を期待されているのか。それでも分かりにくい。
「生きること」を「今この世で生きること」にするともう少しイメージが湧きやすいか。「今、この世であなたは何を期待されていますか。

そう考えてみると、「自分がこの人に聞きたい!と思う人8人に『私にお金を払ってでもやってもらいたいことは何ですか?』と聞く」というアドバイスにつながってくる。実際、このアドバイスが私に響いたのは、7月31日に書いた通りである。

『皇の時代』

さて、ここまで書いた上で、「2021/8/8『大転換期後の皇の時代』再読」で書いたことに触れてみたい。

好きであること、楽しいこと、楽であることが、天職(著書では「魂職」と言っている)だとシンプルに言っている。

ここで、1)『夜と霧』が示唆していること、佐藤伝さんが私たちに勧めたことと、2)小山内洋子さんが言っていることの間の、微妙な違いに、ふと思考がぐるぐる回ってしまうのである。

すでに8人からのアドバイスを徐々に受け取っているのであるが、受け取った際の感じ方はそれぞれである。「素晴らしい」「すごい」と感じるものもあれば、「なるほど」「確かに」といったものもある。やや意外な場合は前者、自分のバックグラウンドに照らして現実的な場合は後者の感じ方となる。

面白いことに、自分の心は前者に引き込まれるのである。よく言われているワクワク感もそちらの方が強い。あーしてみよう、こーしてみようというアイデアが追加で湧いてくる。

例えばクラシック音楽などの「解説」をしてほしいという回答、これは前者なのだが、昨日はこれに派生してあれこれ考えていた。

ベートーヴェン

私が最も好きな作曲家は、ベートーヴェンである。マーラーも大好きなのだが、敬愛しているという意味では、ベートーヴェンは別格なのである。まず、ベートーヴェンを語らずして誰を語るのかと考えたら、ベートーヴェンが作曲した全曲を聴きたくなった。正確に言うと、ベートーヴェンの作品にはOpという作品番号が付されているのであるが、それが138曲ある。それを全部聞きたいと思った。

この「全部」というのは、私の特徴の一つである「凝り性」から来ている。この凝り性は、すべてに置いて発揮されるが、「完璧主義」という言葉からはほど遠い。ほとんどが中途半端、挫折に終わる。仕事や勉強の目的でで、最初にある分野の本を買い込むが、そのほとんどが読まず仕舞いということは、日常茶飯事だ。

しかし、音楽の世界では違っていることを自己発見した。私は気に入った歌手や作曲家を見つけると、とことん聞いていたのだ。クラシック音楽の場合、あまりに曲数が多いので、徹底できていないが、ベートーヴェンであれば、9つの交響曲、32のピアノソナタなどは全部聴いている。ショパンなども「Complete××」なんていうのが好きだから、サンソン・フランソワのショパン全集などもある。(尤も、フランソワがショパンの全ピアノ曲を弾いている訳ではない。)

フォークソングやポップスに至ると、その特徴がいかんなく発揮されていた。どうしても一時期までという限定がついてしまうが、以下のミュージシャンについては、自信を持ってアルバム全曲を聞いていた。

  • さだまさし
  • 中島みゆき
  • オフコース
  • 井上陽水
  • CHAGE & ASKA
  • Mr. Children
  • 周杰伦

話がどこに行ってしまうのかというほど拡散気味だが、「音楽」はもしかしたら、私の「凝り性」という取り扱い注意の性質がプラスに働くジャンルかもしれない。

さて、話をベートーヴェンに戻すが、今の時代は本当にすごいとしか言いようがない。私の想像をはるかに超えて、全曲集CDが複数発売されていた。理由は、昨年2020年がベートーヴェンの生誕250周年だったからである。

タワーレコードに限定の85枚セットが、Complete Worksの80枚セットがアマゾンで、ドイツ・グラモフォンから123枚組のBOX限定版が、世界初録音を含む現在もっとも完全なベートーヴェン作品全集がナクソスから(90枚組)と、これを知るだけで、心が躍り、居ても立っても居られない気分になった。

ちなみにベートーヴェンの作品番号は138あると書いたが、作品番号が付されていない作品の方が多数存在しており、それは主にWoOやHessという番号で整理されていることを知った。自分が作品番号を付さなかった作品さえ、今日演奏されているのは本当にすごいことだ。

そろそろ話を落ち着かせないといけない。

ここまで、 「素晴らしい」「すごい」と感じた 「前者」のアドバイスについて書いてきた。
ところが、同時にこういう声も聞こえてくるのだ。「これって、自分が面白そう、自分が楽しそうと思っているだけなんだよな」と。

そこでやや冷静になり、果たして、これ(クラシック音楽の解説)は天職(Calling)かと。

それでもこのワクワク感はものすごく重要だし、この熱狂に氷をぶっかけて何もなかったことにするほど愚かなことはないと思っている。なので、明日早速、タワーレコードに行って買おうと思っている。この際、全部買ってしまおうかという勢いである。

今日の結論

小山内さんが言っている3種の神器は、おそらく自分の頭が「それいいね」と考えている次元をはるかに超えた、出会った瞬間衝撃的に「これ好き!これ絶対面白い!」と感じるものなのではないか。「今世だけでなく、十数億年の輪廻転生の繰り返しの中で、ずっと同じことをやってきたもの」なのだから。(「楽である」のは、それだけ繰り返しやってきたのだから当然なのかもしれない。)

そして、実は佐藤伝さんも同じことを言っていたのだ。「必ず『これだ!』というものがドーンと天から降りてきますから」と。

いきなり唐突な結論に聞こえるかもしれないが、 『夜と霧』の示唆・佐藤伝さんの助言と、小山内洋子さんの確信の間の微妙な違いは、もしかしたら、両者のアプローチの違いだけなのではないかと思えてきた。

「天職はある時突然気づき、ドーンと天から降りてくる」。最後は一緒。

好き・楽しい・楽アプローチはワクワク感も満載で、楽しい道。でも、すべてが天職につながっている訳ではない。一方フランクル・アプローチは超真面目系。アスリート登山家が好む道と言えようか。こちらの方が寄り道が少ない分、「天職」に出くわしたとき、気づきやすいかもしれない。

天職を見つける旅のルートして、自分に合っている方のアプローチを採用すればいいのかなと思ったら、頭の中のぐるぐるが解消されてきた。

ベートーヴェン全曲集に至る私のワクワク感。こちらも、いいところまで来ているんじゃないかな。