きっかけ(ネタバレあり)
くもんの国語教材GⅠ121-130に登場した。実は、教材10枚綴りで話は完結していたが、少し深掘ってみたいと思い、こちらの本をKindle Unlimitedで借りた。
昔のイメージ
宮沢賢治に関しては、高校1年生のときに、当時の国語の先生が、「やまなし」という本を採り上げて、授業をしていた記憶がある。この小説は、全く意味が分からなかったし、先生が当時の我々に何を伝えたかったのかも覚えていない。
今、ネットでみたところ、思った以上に超短編小説であった。そして、その小説の意図はほとんど分からなかった。一つ分かったのは、「やまなし」とは果実の梨であったこと。それすら今日まで分かっていなかったのである。
まずは細部から
宮沢賢治の小説は、なかなか難しい。そこから入ってしまうと何も書けなくなるので、『オツベツと象』については、細部から書いてみたい。
中にはいるとそのために、すっかり腹が空くほどだ。そしてじっさいオツベルは、そいつで上手に腹をへらし、ひるめしどきには、分厚いビフテキだの、 雑巾ほどあるオムレツの、ほくほくしたのをたべるのだ。
『オツベルと象』 宮沢賢治 オリオンブックス P4
新型の稲扱き器械が6台回っている小屋の中は、のんのんのんのんと振るうので、腹が減るという。そして、雑巾ほどあるオムレツという表現が用いられる。
小説の情景描写には作者の意図が隠されていると思うが、器械が回っている部屋にいると腹が減る理屈も、大きなオムレツを「雑巾ほど」と形容する感覚も、私のなかでは消化されないものとなっている。
ある晩象は象小屋で、三把の藁をたべながら、十日の月を仰ぎ見て、「苦しいです。サンタマリア」と云ったということだ。 こいつを聞いたオツベルは、ことごと象につらくした。
『オツベルと象』 宮沢賢治 オリオンブックス P9
オツベルの調子に乗って気立ての優しい象をこき使う。そして、この記述が登場する。
オツベルはこれを聞いてなぜ、さらに辛く当たるようになったのかが分からない。私にとっての宮沢賢治は、このように想像で埋め合わせするのが難しい細部がまま登場するのである。
頭がよくてえらいオツベル
オツベルは主人として偉い人間だと終始持ち上げられているが、その最期はちょっとあほらしい。象が一ぺんに塀からどっと落ちてきて圧死してしまうのである。これは、偉いというのは究極の皮肉であり、労働者をこき使う資本家に対して、痛烈な批判・警告をしているのか。
こうなることは分かっていたと言って、百姓に指示を出すオツベルは、やはり滑稽にしか見えない。「わざと力を減らしてあるんだ」と言って、象を丸太で小屋に閉じ込めるが、助けに来たたくさんの象は、元気そのものである。やはり、本当はバカ者であることを見せしめているのだろうか。
ハッピーエンドの最後に
象にひどいことをしたオツベルは亡くなった。象は仲間に助けられ九死に一生を得た。これはある種のハッピーエンドだが、最後のなぞが用意されている。
「おや、川へはいっちゃいけないったら。」
これがこの小説の最後の一文なのだ。その前には一行開けてある。妄想を働かしても、この一文の意味は分からない。
そう言えば、小説の冒頭も謎めいている。
「……ある牛飼いがものがたる」とあるのだ。
『毒もみのすきな署長さん』
この小説も、なかなか賢治の意図に迫ろうとすると、よく分からないことが多い。
最初また細部から書くと、
そうすると、魚はみんな毒をのんで、口をあぶあぶやりながら、白い腹を上にして浮びあがるのです。そんなふうにして、水の中で死ぬことは、この国の言葉ではエップカップと云いました。これはずいぶんいい言葉です。
『毒もみのすきな署長さん』 宮沢賢治 オリオンブックス P16
エップカップという言葉は、この国の言葉だと書かれていますが、なぜここで登場するのか、前後の脈略がない。また、「ずいぶんいい言葉」という評価も、よく分からない。これが伏線になって物語が発展する訳でもないのである。
新しくこの町に来た警察の署長さんは、毒もみして魚を殺す悪い奴を取り調べることが一番の仕事なのに、自ら毒もみをしていたことを白状する。
この件が以下の通り。
「そいつは大へんだ。僕の名誉にも関係します。さっそく犯人をつかまえます」
『毒もみのすきな署長さん』 宮沢賢治 オリオンブックス P21
「何かてがかりがありますか」
「さあ、そうそう、ありますとも。ちゃんと証拠があがっています」
「もうおわかりですか」
「よくわかってます。実は毒もみは私ですがね」
通常の会話ではない。賢治は何を伝えたかったのか、、、
私がさらに気になったのは、罪を犯した署長が死刑になったことである。確かに重い罪かもしれないが、あっさり死刑判決を受け、「大きな曲がった刀で、首を落とされる」ことになるのだ。
賢治の小説には、『オツベルと象』に出てくる残忍さや、この小説で出てくる死刑など、ちょっと怖い設定が敷かれることが多いのだろうか。
『蛙のゴム靴』
こちらも収録作品。
世の中を(お金を介した)損得勘定でみる世界を描いている。
野鼠はかつて蛙の親身の介抱を受けた恩義がある。だから、蛙の頼みを聞く。ところがその頼みが案外たいそうだったから、「僕はお前のご恩はこれで払ったよ。少し払い過ぎた位かしらん」というセリフをはく。
一つ一つの行為に対して見返りを求める様子が描かれる。これもまた、賢治一流の痛烈な皮肉なのであろうか。
3匹の蛙の1匹であるカン蛙が、野鼠の協力を得て、素敵な靴を手に入れる。それが理由で、カン蛙はルラという蛙のお嬢さんと結婚する。それが面白くない、ブン蛙とベン蛙は、とことんカン蛙を陥れるのだ。
いばらの道をわざと歩かせ靴をボロボロにし、最後は穴に落としてしまおうという計画を立てる。やはりここでも憎しみの度合いが強く、やることが残忍なのである。
宮沢賢治は私にとって本当に難しい。