『資治通鑑』巻第一 周紀一 (前四〇三年~前三六九年)①

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中国関連★★★

東周威烈王二十三年 2 智氏の滅亡(注:このタイトルは私が書いたもので、原文は2としか書かれていない)

晋国を支配していた智一族が跡取りの智伯のために滅ぼされた話が2に書かれている。おそらく資治通鑑の中では有名な話に属すると思う。

史実の記述の後、司馬光が「臣司馬光が申しあげます」と切り出して、それについて解説する。

才能徳行兼備のものを『聖人』、ともにないものを『愚人』、才能が徳行に勝っているものを『小人』、徳行が才能に勝っているものを『君子』という。

これに続き、徳行は人の尊敬をうけ、才能は人に愛される。尊敬される人は疎んじられがちであり、愛される人は容易に親しくなると。

だから、多くの人は才能ある人にうまくしてやられ、徳行ある人を忘れさるのだという。いにしえより、亡国没落の例は非常に多いが、それは才能あって徳行足りない者たちの仕業であるという。

東周威烈王二十三年 3 戦後初の超大国魏、兵法家呉起

さて、趙、韓、魏の三家は智氏一族の領地を分割するのだが、次のような記述がある。

怨み骨髄に撤した趙襄子は、智伯の頭蓋骨に漆を塗り、酒杯にした。

徳田本電子版 全訳資治通鑑1 戦国時代 No.107

この感覚が現代人には分からない。いや、日本人だから受け付けないだけなのかもしれない。もともと私がこの超大作に興味を持ったのは、その点にある。つまり、中国人の感性・感覚と日本人のそれは、どれほど異なっているのか知りたくなったのである。

続いて、智伯の家臣の豫譲の話が書かれる。豫譲は主君の仇を討とうと受刑者のふりをしていた。長い引用をする。

 豫譲は今度は漆を全身に塗った。皮膚は 爛れ、癩病(ハンセン氏病)のようになった。さらに木炭を呑み、ふつうの声が出ないようにした。市場で物乞いをしてみると、妻でさえ見分けがつかなかった。だが親友に出会うと、その親友は彼だとわかり、涙を流して言った。 『君の才能ならば、もし趙一族の族長に仕えれば、かならず重く用いられる。そうすれば、君のやろうとしていることは、簡単ではないか。どうしてそんなに苦労しなくてはならないのか。そんなやりかたでは、仇討ちはとても難しいぞ』

 豫譲 は言った。

『わしがもし身体を委ねて家臣となり( 質 を 委す)、主君を殺そうとすれば、それは二心をいだくことになる。わしがやろうとしていることは、非常に難しいことはわかっている。だが、それだからこそ、天下と後世の家臣が二心をいだくことは恥だと感じさせられるのだ』

ある日、趙襄子が外出すると、いつも通る橋の下で、 豫譲は待ち伏せしていた。趙襄子の車が橋のたもとまで来ると、気配をさっした馬が驚いた。随従らが捜索し、 豫譲を捕らえた。今度は赦すことはせず、ついに殺した。

徳田本電子版 全訳資治通鑑1 戦国時代 No.107, 109

豫譲は仇を討つために、なぜ自分自身の体を痛めつける必要があったのだろうか。そして、資治通鑑はこのエピソードから読者に何を訴えたかったのか。本書はこのように淡々と史実を綴っていく。

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