中国関連★★★
安王五年 2 聶政(じょうせい)の死(注:このタイトルは私が書いたもので、原文は2としか書かれていない)
聶政(じょうせい)は、豪族の厳仲子に頼まれて、韓国宰相の侠累を刺殺した。
頼むとき、厳仲子は、聶政の母に黄金百鎰を贈った。聶政は母親が生存している間は「わたしの命は人に預けることはできない」と言って断った。
さて、母親が世を去ると行動に移す。
聶政は厳仲子のために侠累を暗殺しに出かけた。そのとき侠累は宰相府におり、厳重に警護されていた。 聶政はためらわず階段を駆け登り、侠累を刺殺した。それから刀で自分の顔の皮膚を切り裂き、両眼を抉りとり、屠腹して腸を引き出し、自殺した。韓国の君主は市場の中央広場に聶政の屍体をさらしものにして、莫大な懸賞金を掲げ、身元を割りだそうとした。しかし、誰も見分けがつかなかった。
彼の姉聶嫈はその噂を耳にすると急ぎ駆けつけ、弟の屍体を撫でながら泣いて言った。『これは、軹の深井里の聶政です。わたしが生きているため、過がおよぶのを恐れ、まったく容貌を判らないようにしたのです。誅殺を恐れて、賢弟の名を埋もれさせてよいものか!』
姉は 聶政の屍体の傍らで自殺した。
徳田本電子版 全訳資治通鑑1 戦国時代 No.123
これは、すさまじい話だ。聶政には断るという選択肢はなかったのか。報復されることが初めから分かっているから、身元が分からなくなるほど八つ裂きにしたのだろうが、そもそも自力では不可能ではないだろうか。大いに信憑性が疑われる。
加えて姉の選択は美談なのだろうか。本当にこんな時代が存在したのだろうか。にわかに信じがたい。
安王十五年 2 呉起謀られる
魏国の宰相である公叔痤(ざ)が呉起の才能に反感を脅威を感じ、なんとか陥れようとした。
下僕の案に従い、君主にこう伝える。「呉起どのは非常に有能な人間です。しかるに、ご主君の国は小さく、わたくしは呉起どのの心を引き留められるか案じております。試しに、もうお一人の公主(国王の娘)を賜りあそばされますよう。もし魏国に留まる気持ちがなければ、きっと断るはずです」と。その後、呉起を公叔痤に家に招き、自分が妻(公叔痤の妻も公主である)にひどく侮辱される姿を見せる。
結果、呉起は婚儀を断る。魏の国王の武候は呉起を信任しなくなった。罠に堕ちたことに気づいた呉起は誅殺を怖れ、楚国へ亡命したという。
こんな謀略と隣り合わせの時代に生きるのはさぞかし大変なことだろう。ただ、少し不思議なのは、呉起は国王の娘との縁談話を断って、安泰でいられると思ったのだろうか。国王との関係がおかしくなるのは必定であろう。これは今の時代でも同じだと思う。
資治通鑑を読み進めていくと、よく出くわすのだが、人は、割と簡単に隣国や別国に移動する。民族の違いは、この本を読んでいるだけではすぐ分からないのだが、同一民族・同一言語だと仮定すれば、そこへの抵抗感はあまりないのだろう。
そもそも、その場に留まっていては、殺される危険性が高いのだから。
安王二一年 1 呉起死す
呉起は楚国で宰相に任命され、政治改革に着手する。貴族王族大臣は既得権益を奪われたため、呉起に深い恨みを抱く。
この年貴族王族大臣らが暴動をおこし、呉起を攻撃した。「逃げられぬと知った呉起は、霊堂に安置してある 悼王の遺体まで走り、その上に蔽いかぶさった。暴徒は呉起を射殺したが、矢は悼王の遺体にまで突きささった。」という。
粛王が即位し、今度は暴動をおこしたものたちがことごとく誅殺された。呉起を殺したものたちの同族で連座処刑(夷滅。一族皆殺し)された家は七十余に達したという。
殺すときの徹底ぶりは、私の理解の度を越えている。そして、殺したものの一族は皆殺しされる。恐ろしい世界である。