『愛の心理療法 内観』 柳田鶴声著 いなほ書房 1997年10月(絶版)

バブル世代の書評ブログ

精神世界・スピリチュアル★★

紹介文

内観法の創始者吉本伊信氏の弟子で「瞑想の森内観研修所」の開設者である著者が、内観(特に1週間の集中内観)について、分かりやすく紹介している。やり方、体験談を先に紹介し、その目的、理論、気づき(瞬間に分かること)などに触れている。そして三昧の境地の体験が多数記録されている。

きっかけ

9月の最終週に、「瞑想の森内観研修所」に行き、1週間の集中内観をしてきた。そこで柳田先生の肉声テープを聞き、先生の書かれた本を買いたくなった。絶版であったが、Amazonの中古品で手に入れることができた。

数年前、恩師を囲む会で、高校時代のクラスメートが、内観道場なるものを経営していることを知った。その時から興味は持っていたものの、サラリーマンを続けている限り、1週間を完全に空けることは不可能であり、自分が行くことは想像できなかった。

ところが、2020年末に私は会社を辞めた。

その後、「内観が大事」という話を2人の方から聞いた。1人はセミナー講師、もう1人は目に見えない世界とつながってお仕事されている人からだ。

その他にも、内観という言葉は使わなくても、「自分の内側に答えがある」と言っている人が私の周りの多く現れた。

私はいつも外側に答えを求めている人生を送ってきたからだ。それは私へのアドバイスであり、忠告でもあった。

ちなみにネットで検索すると、「内観」を行っている研修所は、日本全国に何箇所もある。「瞑想の森内観研修所」は栃木県さくら市(最寄駅はJR宇都宮線氏家駅)にある。

内観とは

内観とは、文字通り自分の内面を自分でみることである。しかしながら、吉本伊信氏が始めた「内観法」には作法がある。

「母に対する自分を調べましょう。お世話になったこと、して返したこと、ご迷惑をかけたこと、他に養育費、父、祖父母、姉妹、伯父、伯母、兄弟、配偶者、その親、恩師、友人、勤務先上司、部下、嘘と盗、先輩、後輩、取引先及隣近所の人、不仲な人、その他周囲の人々に対する自己を、年齢順に何回もくり返しお調べ下さい」

『愛の心理療法 内観』 柳田鶴声 いなほ書房 P102

ここにすべてが書かれている。もう少し説明すると、相手に対する自分の〇才から〇才までの自分を、現在に至るまでずーっと調べ続けていく。母であれば0才から3才、次は4才から6才いう風に。研修所では、社会人になるまでは3~4年ずつ年代を区切るのがよいと指導を受けた。

さて、何を調べるかというと、3つである。お世話になったこと、して返したこと、ご迷惑をかけたこと。
これを半畳の屏風に囲まれた空間の中で、朝から晩までひらすら調べていくのである。(養育費だけはやり方が異なる。)

3つのテーマについて、「対象者に対しての自分を、検事が被告を取り調べるように調べる。実際にあった具体的な出来事や経験を、出来る限り細かく、絵に描くようにまざまざと思い出すこと」が最も良い方法だという。

そして面接を約二時間おきに行う。年代を区切って調べていくので、年代ごとに面接に答えて、次の年代に進む。1日7回の面談がある。

瞑想の森研修所は、敷地大体七〇〇〇坪の山の中の静かな環境にある。本には書かれていないが、携帯電話の保有が当たり前の現在、研修所に着いたらすぐ携帯は預けることになっている。内観は、外からの刺激を一切受けないで他人と自分との関係を考えていく「遮断療法」である。

「一日、二日、三日目までは辛いし、幼児の頃どんなことをやっていたか、なかなか思い出せないものである。」

逆に言うと四日目からは内観が深まってくるというのが、一般的に言われている。

ただし、これは個人差が大きいと思う。4日目になると確かに多少は環境に慣れてくる。それでもなお、私は椅子の生活に慣れてしまっており、正座や胡坐は苦手であったから、狭い畳の空間で5分置きにくるくる体を動かしながら内観をしていた。現代人にとってはなかなか辛い環境ではある。

内観の目的

さて、肝心の内観の目的について、以下のように書かれている。

内観の創始者吉本伊信は、内観とは本人がどんな逆境に苛まれていても、また他人からみて、あの人可哀そうやなあ、気の毒やなあ、という立場であっても、喜んで暮らせる。そういう精神状態に転換することが内観の目標であると言っている。

従って内観法は、人間が安心立命の境地に達することが目的という事になる。解脱とは、束縛から離脱して自由になること、煩悩から脱し苦悩を克服し、憂いのない安らかな心境を指す。即ち内観をすることは解脱することである。

『愛の心理療法 内観』 柳田鶴声 いなほ書房 P100-101

前段は吉本伊信が言っていたこと、後段は著者の言葉で言い換えたものである。前者は「転迷開悟」、後者は「安心立命」という言葉に要約される。

解脱の瞬間

解脱の瞬間と題して、何人かが紹介されている。以下は吉本伊信氏。

転迷開悟、噫々何という嬉しい幸だから、もういつ死んでもよい。

(中略)

足が一尺程、空気の上を歩いて居る様で、何を見ても考えても、嬉しくて、嬉しくて歓喜の光に酔って居りました。

『愛の心理療法 内観』 柳田鶴声 いなほ書房 P106

以下は、著者のある日の突然の気づきである。少し長くなるが引用したい。

次の瞬間、私の脳裏に人生の哲理とでも言おうか、無限の論理が次々と精巧に精密に構築されていったのです。一瞬の気づきが原稿にしたら五百枚(二万字)にも及ぶと思われる。論理が整然と秩序だって形成されたのです。

その膨大な理論の中核をなす二つの気づき。

一つは生まれてから今まで犯した無量の罪の全受容であり、一つは生まれてから今までの無数の体験――いわば全生涯の全受容である。罪は己が命の栄養であり、体験は自分史を刻む時間と空間である。罪を観じ、体験を感じて、この二つを全許容した時、初めてほんとうの自分が判り、宇宙と自分との一体感が判ったのである。

(中略)

今回の体験で、身体的に得たものは根強く残っていた左腸の不快感と右背部のしかり感が、完全にとれたことと、老眼鏡のいらない目になったことです。

(中略)

昭和五十一年八月、吉本伊信先生のもとで内観をさせていただいてから、断続的な日常内観と集中内観七回、内観を知ってから九年目でようやく内観の入口をくぐって、今、内観三昧への糸口がはっきり見えたという実感がします。

今、胸がときめいています。
一九八五年五月二十日午前五時
瞑想の森にて記 柳田鶴声55才

『愛の心理療法 内観』 柳田鶴声 いなほ書房 P117-119

最後に

私は、著者が内観中に得た上記の突然の気づきの箇所(全文はもっと長い)を、しばらく繰り返し読んでみたい。そこに到達する時間は大変長く、途方もない修練が必要だが、至った境地が、言葉で大変上手く記されている。

我々はどうしても、過去の黒歴史を封印したり、過去の自分を否定して変わろうとしたり、ポジティブシンキングに走ったり、しがちであるが、それだと「安心立命」の境地に至ることはないであろう。

「安心立命」とは、天命を知って心を安らかにし、物事に動じないことであるから、人生における究極の境地である。私も、人生の最後にはその境地を味わって死にたい。

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