クリスマス・キャロル ディケンズ 池央耿訳 光文社古典新書 2009年10月

バブル世代の書評ブログ

きっかけ(ネタバレあり)

くもんのGⅠ教材31~40に『クリスマス・キャロル』が採り上げられている。記憶をたどってみるに、『クリスマス・キャロル』は、かつて読んだことがなかった。新潮文庫の100冊にもなっていたと思うし、薄い本でもあるのに、スルーしたのはなぜだろう。

教材10枚まるまるこの小説が載っているので、そこそこストーリーが追える。それは冒頭のシーンからであった。がりがり亡者のスクルージの描写が興味をそそる。「それにしても、スクルージは、にぎったものは、はなさないという、たいへんなけちんぼうだった。しぼりとり、もぎとり、かっさらい、こすりとり、にぎりしめる、どん欲なじいさん!火打ち石のようにかたくて、とんがっていて、火打ち金を打ちつけても、気前よく火の出たためしがない。」(夏目道子訳 金の星社)

本当に興味をそそられたのは

でも私が本当に興味をそそられたのは、スクルージのおいである。彼は、事務所にやってくると、「メリー・クリスマス」と快活な声をあげ、「くだらん」と応酬するスクルージに、全く負けることなく、最後まで陽気にふるまったのである。

まるで天使のようであり、とても人間とは思えない描かれ方に感じたのである。

マリー

スクルージには相棒のマリーがいた。彼は7年前に亡くなっているのだが、その亡霊が出るのである。そのシーンはやや教義的で説教じみているが、金儲けに始終した人生を深く後悔している。生前自分がこしらえた鎖につながれて、今後果てしない旅を続けなければいけないのだ。

少年時代・現在・そして未来

筋書きは至って簡単だ。第二節は少年時代のクリスマスの様子を、第三節は今のクリスマスの光景として、使用人のボブ・クラチットの家庭と、甥っ子のフレッドの家庭をみることになる。そして第四節は、孤独な未来の自分の死を見せつけられるのである。

大詰

ここで種をあかすのはかなりの野暮になるから、やめておく。次の一節だけ引用しておきたい。

一部ではこの変貌を笑ったが、当のスクルージは、笑わば笑え、とどこ吹く風だった。世の中、何ごとも、はじめは人からさんざん笑われずには済まないことを知っていたためである。おまけに、人を笑うのは理解の不足であって、自分の無知を棚に上げて笑うことの方が見苦しいことを思えば、何と言われようと痛くも 痒くもない。だが、そんなことにはかかわりなく、スクルージの心が笑っている。スクルージにしてみれば、それが何よりだった。

クリスマス・キャロル ディケンズ 池央耿訳 P117

ディケンズについて

この作者に興味を持ちにわか勉強をした。ディケンズはこの作品を31歳のときに書いている。絶大な人気を博したそうである。それから数年かけてクリスマスを主題をする作品を発表し、全五作を『クリスマス・ブックス』として集成したらしい。

巻末で訳者が解説しているが、画家ゴッホは、実弟のテオに宛て手紙で、『クリスマス・ブックス』に触れ、何度も繰り返し読むに価する奥行きのある作品と述べている。