田舎教師 田山花袋著 青空文庫 2012年9月

バブル世代の書評ブログ

はじめに(ネタバレあり)

本書を読むのは、これで3回目となる。最初はおそらく高校生。浪人時代かもしれない。大学1年になって出会った友人に、私が「将来田舎教師になる」と語ったことが記憶されているから、それ以前に読んでいることは間違いない。

2回目は前職(大手監査法人)を退職してしばらくしてからである。2021年中であろう。

そして、この2日間(2023/10/8-9)再再読した。私は本を繰り返し読むことはほとんどしない。ましてや3回も読んだ本は、おそらく初めてのことだと思う。なぜか。

学校の教員になる夢

私は小学生の頃から、学校の先生になるのが夢であった。最近ではFacebookに投稿するなど、多くの人に伝えるようになった。私が小学校5年生の時に日本テレビで放映された『熱中時代』がその原点にある。

その夢は中学生になっても消えることはなかった。高校生になって、周りに誰も学校の先生を目指しているものがいない世界に入ってから怪しくなってきた。その後この本に出合う。

私が学生時代に読んで感じたこと

これはすでに妄想の域を出ないが、当時この本を読んで感じたことは、「志半ばに早世した青年は、田舎の一小学校の教員として、埋もれたまま人生を閉じた」というものであった。

ここには2つの意味があって、一つは非常に早死にをしたこと。もう一つは田舎教師は立身出世とはほど遠い職業であるということ。

当時の私はいつ死ぬか分からないという漠然とした不安を抱えていたように思う。教職免許を取得し、大学を卒業して、そのまま学校の先生になることは、ありきたり過ぎる非常に小さい夢のように思えた。

友人に語ったこと

大学1年のときの話しだ。テニスサークルの練習の後、皆で食事をし、その後同級生の友人(冒頭の「はじめに」で触れた友人と同一人物)とカフェに入った。そもそも男二人でカフェに入ったことが非常に不思議でならないが、そこで友人と長く語った記憶がある。

ここで自分は将来の夢として、学校の先生になることを語ったと思う。その友人の両親は学校の先生であった(確か親父は校長先生)。そのとき、将来の夢として「学校の先生になりたいと思っている」と言ったのであろう。しかしながら、『田舎教師』という本を読んで、「あんな風に埋もれた人生にはなりたくない」とも言ったような気がする。

つい先日、私が何を言ったか友人にSNSで確認したが、残念ながらあまり覚えていなかった。「田舎教師になる」と言ったらしい。食い違いがあるが、『田舎教師』について話したのは間違いない。

学校の先生への思い

大学を卒業して私は銀行に入った。入社2年目に本店に配属され、業務負荷の少ない、ルーチンの多い事務部に配属された。今思えば非常にありがたい部署であったが、若者には少々退屈であったのだろう。入社3年目だったと思う。突如私は会社を辞める決意をし、母校の教育学部に学士入学の申し込みをした。試験は論文と面接であった。何冊か本を読み、論文を仕上げ、面接に臨んだ。教授たち4人ぐらいに囲まれる面談だったと思う。出来がよかったかどうかは思い出せないが、私は無事合格した。

ところがである。親戚に大問題が発生した。詳細はここには書かないが、バブルがはじけ株価が暴落する中、財テクという投資に走った企業がつぶれていった時代である。

私の周りがざわざわした。そして親は私が翻意することを強く望んでいた。

結果、私はあっさり学士入学を辞退することになる。言い方を変えれば、断念という意思決定を他人のせいにしたのである。

再読

あれから、30年以上が経過した。私は、学校の先生からほど遠い人生を歩んだ。銀行員、ベンチャー企業勤務を経て、公認会計士になる。順を追って説明すれば、それなりに変化の激しい人生を過ごしてきた。ただ、そこに学校の先生が入り込む余地はなかった。

ようやく教育事業をすると決めて大手監査法人を退職したのだから、原点を振り返ってみようと思い、『田舎教師』を再読した。ここで言う原点とは、教師になる夢が揺らいでいた自分に、おそらく教師を選択しない後押しをした原点、という意味である。

当時の追体験に加えて、30年の年月を経て、感じ方がどう違うのかも楽しみであった。

ところが、ほとんど何の感慨もなかった。むしろ退屈な小説であるとさえ思った。

家庭が貧しくて東京に遊学など無理だから、当面小学校にでも出た方がいいという話から、小学校の教員になる。周りの友人は高等学校を目指し、明るい未来が待っている。自分だけ弥勒(埼玉県羽生市の町)で埋もれている。友人と同じ女性に恋するもずっとそれを押し殺す。ある日を境に遊郭に通うようになり、一人のおいらんにハマる。借金がかさむ。突如意を決して真人間になろうとしたところで病魔がおそう。最後は特段の盛り上がりも見せぬまま、どんどん衰弱する様が描かれて終わる。

大学時代に私は、この小説から一体何を感じ取ったのであろうか。

方向性を決める

私は紆余曲折を経て、6月に学校の先生になることを決めた。そうしたら、またこの本が読みたくなった。いや、ちょっと違う。今『田舎教師』を読んだらどう感じるのか。再び、私の行動の歯止めとなるのか。

また、再読があまりに浅くて薄っぺらに終わってしまったので、今度はとにかく精読に努めたいとも思った。

読む前に得た知識

主人公のモデルが実在していることを知り驚いた。これは、検索で羽生市のウェブにたどり着き知ったことである。小林秀三で検索するとWikipediaすらあった。「小林は日記を残しており、没後に建福寺住職・太田玉茗の義弟だった田山花袋(妻が太田の妹)が寺を訪問した際に小林の墓碑に気付いて興味を抱き、日記に基づいて『田舎教師』を執筆した。」と書かれている。建福寺とは、行田から(弥勒の)学校に通うのが辛いため居候になった、小林秀三が長い間過ごした場所である。

主人公と重ねた当時の自分

私は当時、主人公と自分を重ねたが、今般重なるところが全くないことがよく分かった。

父と母と清三とは 炬燵 を取りまいて戸外に荒るるすさまじい冬の音を聞いていたが、こうした時に起こりかけた一家の財政の話が愚痴っぽい母親の口から出て、借金の多いことがいく度となくくり返された。「どうも困るなア」
 清三は 長大息を吐いた。
「いま少し商売がうまく行くといいんだが、どうも不景気でなア。何をやったッてうまいことはありやしない」
 父親はこう言った。
「ほんとうにお前には気の毒だけれど毎月いま少し手伝ってもらわなくっては――」母親は息子の顔を見た。

『田舎教師』 田山花袋 No.2085

主人公の林清二の家庭は本当に貧しかった。かつては財産も豊かで呉服屋を経営した父親が、人にださまれやすい性格から没落し、今では、贋物の書画を人にはめることを職業にしている。
母親は清三が家に帰るたびに、家計が困っている繰り言をいう。

我が家は別にお金持ちではなかったので、贅沢はしていなかったが、家計で困ったようなことは一度もない。父親は人はいいが堅実で、資金管理においてはむしろ成功者であった。母親がお金のことで私の援助を求めた事はただの一度もない。

全く境遇が違っていたのである。

若い頃に抱く立身出世への情熱

清三は思わず興に乗って、理想めいたことやら、家庭のための犠牲ということやらその他いろいろのことを打ち明けて語って、一生小学校の教員をする気はないというようなことまでほのめかした。

『田舎教師』 田山花袋 No.251

ここには共通点があったと思う。大正時代と昭和40年代では社会は異なっているが、社会で大いに成功したいという想いは変わらない。ここでいう成功とは、東京に行き、いい大学に入り、いい会社に入り、出世するという、明るい未来に向けて敷かれたレールに乗っかっているということではないだろうか。

なお、本書には日露戦争の戦況がかなり詳細に書かれている。名誉ある戦争に加わることも、当時は大きな成功だったに違いない。

年齢が違うからとはいえ、こうした境遇にこうして安んじている人々の気が知れなかった。かれは将来の希望にのみ生きている快活な友だちと、これらの人たちとの間に横たわっている大きな溝を考えてみた。 「まごまごしていれば、自分もこうなってしまうんだ!」

 この考えはすでにいく度となくかれの頭を悩ました。これを考えると、いつも胸が痛くなる。いてもたってもいられないような気がする。小さい家庭の係累などのためにこの若い燃ゆる心を犠牲にするには忍びないと思う。

『田舎教師』 田山花袋 No.1503

 立身出世への情熱と書いたが、清三の考えの根底には常に羨む他人との比較がある。ここにも自分の境遇に対する哀れみとの葛藤が見て取れる。

ネガティブな思考スケールにいること

私はおそらく長年、ネガティブな思考に陥ることが多かった。より正確に言えば、「今の自分はまだまだ足りていない」という非充足感がいつも自分を支配していた。俺はこんなもんじゃないという感覚である。その点、清三と似ているところがあった。

それに人の種類も顔色も語り合う話もみな違った。同じ金儲けの話にしても、弥勒あたりでは田舎者の吝嗇くさいことを言っている。小学校の校長さんといえば、よほど立身したように思っている。また校長みずからも鼻を高くしてその地位に満足している。清三は熊谷で会う友だちと行田で語る人々と弥勒で顔を合わせる同僚とをくらべてみぬわけにはいかなかった。かれは今の境遇を考えて、理想が現実に触れてしだいに崩れていく一種のさびしさとわびしさとを痛切に感じた。

『田舎教師』 田山花袋 No.1122

教員という職業の最終ゴールが校長先生だとすると、頭打ち感があるのは、ここに書かれている通りだ。若い頃の私はそのように考えたことだろう。例えば従業員の5000人の会社に入り、課長、部長、取締役と上がっていくヒエラルキー構造と比べ、学校の世界は至って平坦な気がする。

でも、ここで語られているネガティブ感情も、よくよく考え見ると、清三は自分のどうすることもできない境遇に対する諦めがベースにあるから、彼の感情の居場所と私のそれは、本質的に違うような気がしてきた。

消極的にすべてから――恋から、世から、友情から、家庭からまったく離れてしまおうと思うほどその心は傷ついていた。寺の本堂の一間はかれにはあまりに寂しかった。それに二里足らずの路を朝に夕べに通うのはめんどうくさい。かれは放浪する人々のように、宿直室に寝たり、村の酒屋に行って泊まったり、時には寺に帰って寝たりした。

『田舎教師』 田山花袋 No.2212

この孤独感の根底は、やはり自分の境遇に対する嘆きからくるのだと思う。自分だけこの片田舎に取り残されて、将来何の夢も抱けない無量の寂寥感が、本人を押しつぶしていく。その後、彼の前に中田の遊郭が現れる。ここから逃れるためには、おいらんの静枝の存在は不可欠のものであったと想像する。

他人から刺激を受けること

清三は一円五十銭で、一人寝の綿 蚊帳 を買って来て、机をその中に入れて、ランプを台の上にのせて外に出して、その中で毎夜遅くまで書を読んだ。自分のまわりには――日ごとによせられる友だちの手紙には、一つとして将来の学問の準備について言って来ないものはない。高等師範に志しているものは親友の郁治を始めとして、三四人はあるし、小島は高等学校の入学試験をうけるのでこのごろは忙しく暮らしていると言って来るし、北川は士官学校にはいる準備のために九月には東京に出ると言っているし、誰とて遊んでいるものはなかった。清三もこれに励まされて、いろいろな書を読んだ。主僧に頼んで、英語を教えてもらったり、その書庫の中から論理学や哲学史などを借りたりした。机のまわりには、文芸俱楽部や明星や太陽があるかと思うと、学校教授法や通俗心理学や新地理学や、代数幾何の書などが置かれてある。主僧が早稲田に通うころ読んだというシェークスピアのロメオやテニソンのエノックアーデンなどもその中に交っていた。

『田舎教師』 田山花袋 No.1342

この思考回路も私に似ている。しかも、その刺激がいわゆる勉強に向かうところがそっくりかもしれない。(たまにランニングなどの運動に向くこともあったが。)もっともっと上を目指すには、階段を上り詰めるには、努力が必要だといつも思っていた。だから努力を人間の最上の態度として尊んだ。
しかしながらここも、清三には経済的な面で未来が閉ざされていたのだから、同じではないのかもしれない。

葛藤

どんな人間にも葛藤がある。理想と現実のはざまで、自分を鼓舞し納得させるため、いろんなことを思考する。それが、頭の中をぐるぐると駆け巡るのである。

「自分はどんな事業をするにしても、社会の改良でも思想界の救済でも、それは何をするにしても、人間として生きている上は生きられるだけの物質は得なければならない。そしてそれはなるべく自分が社会につくした仕事の報酬として受けたいと自分は思う。それには自分は小学校の教員からだんだん進んで中学程度の教員になろうか。それとも自分はこの高き美しき小学教員の生涯を以て満足しようか」などと考えることもある。一方には多くの友だちのようにはなばなしく世の中に出て行きたいとは思うが、また一方では小学教員を尊い神聖なものにして、少年少女の無邪気な伴侶として一生を送るほうが理想的な生活だとも思った。友に離れ、恋に離れ、社会に離れて、わざとこの孤独な生活に生きようというような反抗的な考えも起こった。

『田舎教師』 田山花袋 No.2268

目の前にいつもいた仏

この小説には、いろんな登場人物が現れるが、ひときわ重要だと思える人が荻生さんである。荻生さんは、本当に仏のような人である。田山花袋は初めからそれを見抜き、意識しながら書いていたのではないかと思う。

こう言って笑った。荻生さんはいぜんとしてもとの荻生さんで、町の菓子屋から餅菓子を買って来てご馳走した。郵便事務の暑い忙しい中で、暑中休暇もなしに、不平も言わずに、生活している。友だちのズンズン出て行くのをうらやもうともしない。清三の心持ちでは、荻生さんのようなあきらめのよい運命に従順な人は及びがたいとは思うが、しかしなんとなくあきたらないような気がする。楽しみもなく道楽もなくよくああして生きていられると思う。

『田舎教師』 田山花袋 No.2567

ところが、清三は荻生さんのすごさに気づかない。自分が遊郭でお金を使い果してしまい、借金をはじめるようになるが、三円ばかり持っていた荻生さんに三円貸してくれというあたりをみるに、今でいう単なるいい人としか思っていなかったのであろう。

寺の本堂に寄宿しているころは、清三は荻生さんをただ情に篤い人、親切な友人と思っただけで、自分の志や学問を語る相手としてはつねに物足らなく思っていた。どうしてああ野心がないだろう。どうしてああ普通の平凡な世の中に安心していられるだろうと思っていた。時には自分とは人間の種類が違うのだとさえ思ったことがある。それが今ではまるで変わった。かれは日記に「荻生君はわが情の友なり、利害、道義もってこの間を犯し破るべからず」と書いた。またかつてこの友を平凡に見しは、わが眼の発達せざりしためのみ。荻生君に比すれば、われははなはだ世間を知らず、人情を解せず、小畑加藤をこの友に比す、今にして初めて平凡の偉大なるを知ると書いた。

『田舎教師』 田山花袋 No.3624

これは、息が切れて仕方がないところまで体調が悪化した時分の述懐である。人間、生い先が短くなると真実が見えてくるものなのだろうか。

荻生さんは、臨終の際に飛んで駆けつけ、葬式の手配に奔走した。

教師としての清三の人生

小学校の教師としての清三はどうであったのだろうか。授業風景の記述は非常に少ない。ただし、かつての教え子の田原秀子との文通について書かれている。「恋しきなつかしき先生」と書いているところからすると、生徒の方は淡い恋心を抱いてたのだろう。

ある秋の日、和尚さんは、廂髪に結って、矢絣の紬に海老茶の袴をはいた女学生ふうの娘が、野菊や山菊など一束にしたのを持って、寺の 庫裡 に手桶を借りに来て、手ずから前の水草の茂った井戸で水を汲んで、林さんの墓のありかを聞いて、その前で人目も忘れて久しく泣いていたということをかみさんから聞いた。
「どこの娘だか」
などとその時かみさんが言った。
 ところがそれから二年ほどして、その墓参りをした娘が羽生の小学校の女教員をしているという話を聞いた。
「あの娘は林さんが弥勒で教えた生徒だとサ」とかみさんはどこかで聞いて来て和尚さんに話した。

『田舎教師』 田山花袋 No.4116

これは秀子であることは想像に難くない。田山花袋は小林秀三の日記を基に、かなり忠実に彼の半生を描いた。それはWikipediaに書かれている彼の短い来歴と、この小説がほぼ一致していることから分かる。

それだけに、最後のこの感動的な一幕も、あくまでさりげなく、いやどちらかと言えば、ほとんど目立つことのない記述に留めたのだと思う。

清三にとって教師は

果たして清三は本当に学校の先生になりたかったのか。食い扶持が必要なので、友人の父親の群視学が尽力して、教師の職に就くことができた。目次の「葛藤」で引用したように、「小学教員を尊い神聖なもの」と捉えていたようである。

しかしながら、心の底から湧き上がる思いというよりは、自分の境遇はどうすることもできないという諦めの気持ちが根底に流れており、その中で自分に与えられた職業としての教師という捉え方をしていたのかもしれない。

そもそも主人公は、21歳の若さで肺病でこの世を去ったのであるから、それが本当にやりたい事だったのか天職だったのか、判断のしようもないであろう。

脱田舎教師

さて、『田舎教師』を3回も読んで、それは私にとってどんな意味があったのであろうか。
これでようやく『田舎教師』の呪縛から解放された、ということに尽きるであろう。

そもそも私は50歳半ばまで生きている。だから若い頃漠然と感じていた清三のような早死にするといったシナリオからは大きく外れた。

次にはっきり言えることは、私の生まれ育った家庭は、本当に恵まれていたということである。両親に心より「ありがとうございます」と手を合わせたい。

そして、『田舎教師』のおかげで私は、大卒で教師の道を選ばなかった。私立の進学高校に入った時点で、その平凡と思われる夢は揺らいでいたのだから、『田舎教師』だけが理由ではないが、教師になることは、大志を捨て市井に埋もれることと同じといった強烈な刷り込みが、この小説により入ったことは確かであろう。

もし、そのような埋没感を残しながら教師になっていたら、生涯その気持ちを引きずったであろう。

幸い私は、その後銀行員として台湾に語学派遣され、香港で仕事をする機会に恵まれる。失意のうちに退職するも、その後ベンチャー企業の大変さも経験できた。階段人生の延長線として、公認会計士にもなることができた。

監査法人では、ご縁と運が幸いして、早くして中国大陸に渡り、そこで大きなチャンスを得た。普通では考えられないスピードで、当初思い描いていたゴールを超え、経営者の一員に就くことができた。

今や思い残すことは何もない。命ある限り、もともとやりたかったことにまい進する以外に、私の進む道はないのである。

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