本日は、佐藤伝さんの「PREMIUM朝カフェ」に参加してきた。(前回は「2021/6/26 口に出す言葉について」で書いている。)
私が今必要とするすべての情報が、そこに詰まっていた。まずは参加できたことに心より感謝したい。
7月31日はもともと妻の父方の実家のお墓参りに行く予定であった。尤も、行くのは私と妻それに次女の3人だったので、行くも行かないも比較的自由に決められる計画であったが、家族であっても、先約は大切にしたいという思いがあり、もともと不参加の予定であった。
ところが、緊急事態宣言が発出され、「行ってはいけないのではないか」という結論になった。福島県の田舎であり、都会の人が滅多に行く場所ではないからだ。
朝カフェでは、冒頭に事務局を務める方が、「今の時代、情報を知っているかいないかで、大きな差が生まれる。情報を知るためには、人の縁とネットのリテラシーが、すごく大事。」という話をされた。
情報を知っているものが得をし、知らないものが損をする世の中になっている。Digital Divideという言葉は2000年前から存在していたが、今は、SNSやアプリなどインターネット上の情報も多様に進化しており、ますますその格差は広がっているように思う。
ただし、ネットのリテラシーは、新しいものへの抵抗や恐怖を払拭すれば、誰でも身に着けることができると思っている。(言い換えれば、if 節の払拭が必要条件になる。)
一方で、「人の縁」という要素。これが、以前よりますます重要になっていると感じる。昔は、一部の専門家や博識者が情報を占有しており、そこに価値があった。
例えば、すごく分かりやすい例を書いてみたい。私が長らく所属していた会計士の世界では、大手会計事務所のごく一部の人間が会計テクニカルのプロであり、ごく一部の人間が監査品質のプロであった。特に職業的専門家として、高額なフィーを求めることのできる業務であるから、情報の占有は必然ともいえる。
この領域は、今でもさほどその壁が崩れていない。ところが、私はこの壁が崩れるのも時間の問題だと考えている。
なぜか。その手の情報はネットで十分すぎるほど行き渡るようになり、「その特定の専門家」だけが知っている情報は、その分ものすごい勢いで減っていくと思うからである。よく守秘義務や秘匿性ということが言われる。もちろんそれが守られることは絶対に必要であるが、しっかりとマスキングをし、前提をつければ、いくらでも一般論の延長のケーススタディーとして、公開することは可能である。純粋な善意であれビジネスであれ、無償提供する人が増えると予想する。多分、その流れを止めることはできない。
となると私がいう「人の縁」とは何か。誰もが知っている従来的な専門的領域ではなく、個人あるいは小規模で行っている、ありとあらゆるユニークな活動、これにつながることができるかどうかが、ものすごく大切だと思うのである。そのことについては、明日の会で書いてみたい。(今、8月3日のため、明日8月1日はすでに過去となっている。)
Q&Aコーナーのいくつかが大変私の心に刺さった。「天職の見つけ方のヒントを教えてほしい」。これは実に興味深い質問だ。
職業とはかつてCallingと言われたという話から始まった。つまり、「神から呼ばれたもの」、「神様からの呼び出し」なのである。だから、職業というのは、もとは皆天職だったという風に理解した。
これに続いて、この天職は自分で見つけられないという。人はどうしても好きな事やお金になることをやろうとしてしまう。これは自我つまりエゴが決めているので、「神から呼ばれたもの」ではないのである。
さて、これでは困ったことになる。どうすれば天職を見つけることができるのか。「自分がこの人に聞きたい!と思う人8人に『私にお金を払ってでもやってもらいたいことは何ですか?』と聞くといいですよ」という回答だった。
これは私に響いた。幸いなことにやったことがない。
昔の同僚であれ、初めて会った人であれ、「これから何をするのですか/何をされているのですか」と聞かれまくってきた。その都度オウム返しのように同じことを繰り返した。回数が増えるにつれ、相手の反応が変にならないよう、きれいな耳障りのよい言葉に置き換えていった。そして、相手によって言い方を変えるスキルもどんどん磨かれた。
これでは、今日の話に照らして言えば、「自我がやりたいと思ったこと」すらできず、相手の反応に合わせて振り回されていることになる。
逆に思い切って相手に聞いてみるというのは、逆転の発想で実に斬新だ。自分では分からない自分を客観的に知ることができる、目から鱗の名案だ。まず、聞く人を誰にするかを考えるところからワクワクしてきた。年代、性別、バックグランドをなるべくバラバラにして、ベスト8を選抜したい。