本日、14時半にサントリーホールに集合。15時半から途中休憩15分を挟んで、17時半までゲネプロがあった。ホールでの最終リハーサルは、一昨日のリハーサルとは全く違った。
まず、当たり前だが会場の大きさが違う。こちらは2000人が収容できるホールである。私の座席は、ステージの裏側の2階席(Pブロック)だ。(「大ホール座席表」の、「座席から見たステージ」のステージ裏2階席の真ん中のカメラマークをクリックすると、ちょうど昨日の私の位置から見える景観となる。)
突き当りの2階席は途方もなく遠い。ゲネプロは無観客だが、いや無観客だからこそ、広さが強調される。
あそこまで届く声を出すのはちょっと想像がつかない。それでも、その意識で皆が歌わないと、いい合唱の歌声にはならないのだと思ったら、今まで安易な気分でろくに練習して来なかったことを後悔した。
ゲネプロは本番なさがらの最終調整なので、3人のテノールのマスクを外して、本気で歌っている。おそらく本番の声量の8割ぐらいといったところだろうか。自分たちの出番のない曲に関しては、その歌声に聞きほれてしまう。
自分たちが関係する歌については、そんな余裕はない。楽譜を見ながら、出だしを間違えないこと、テンポに気を付けることに注力した。
マエストロは我々に過度の期待はできないと思ってか殊のほか優しい。ほとんど注文はなかった。それにしても、指揮者というのは大変な仕事だと思った。メロディーを口で正確に口ずさみながら、こうするああすると的確な指示を出さなければいけない。それを、各楽器のプロに対して行うのである。
指揮者はすべての楽器を吹いたり弾いたり叩いたりすることはあるのだろうか。ふとそんな疑問がわいた。素人考えでは、一通り楽器を使えないと、的確な指示はできないのではないかと思う。
ソリストに対して最大限気を遣いながら、合奏がその歌声に合わせてもらう必要がある。そして、最後は全部自分で決めなければいけない。ソリストも楽団も、マエストロに対するリスペクトがないと、いい演奏にはならないだろう。人間力が求められる職業だと思う。
さて、周りの声は思っている以上に聴こえた。全然聴こえないという下馬評は何だったのかというほどである。そしてこのことは次の感想と関係しているのだと思う。我々の声はいつもスタジオで練習しているときより、何倍も大きかったということだ。
私自身、練習時の声とゲネプロ時の声量は全然違っていた。あれだけの観客席が目の前にあると、自然と大声で歌うのであろう。大声で歌うと高音がでる。まさに好循環だ。
それはそれで素晴らしい発見なのだが、家であんな大きな声で練習するのは憚られる。間違いなく隣の家に聞こえてしまうだろう。となると、週1回の練習に予習して臨み、そこで大声で歌うしかない。そんなことを思った。
本番に迎えるに当たり、再び控室で団長の励ましの言葉をもらった。今日来てくれたお客様は、少ないけどいいお客様だ。上客が来ているのでがんばってほしい。コロナになって、クラシック音楽のコンサートを聴きに行くといった楽しみ方はもうなくなってしまった、世の中は大きく変わってしまった。このようなことを熱く語っておられた。すべてを仕切っている女性マネジャーに、時間がないので話を切り上げるようせかされても、それを振り切って話していた。コロナですべてが変わってしまったことを嘆かれていたのか、まるで、もうコンサートなるものは今日が最後であるような激励であった。
お客様は2000人収容できるとして、400名ぐらいであったろうか。それでも1階席を中心に相当な数のお客様がいた。
最初の歌曲が歌い終わると、大きな拍手が起こる。まさに感動の瞬間である。あの大きなホールに、オーケストラの演奏を背に、1人が高らかな歌声をホールに響かせる。こんな歌手冥利に尽きることがあるだろうか。オペラ歌手とは、声が出る限り、一生やめられない仕事だと思う。
一方、我々合唱団も、本番は、ゲネプロ以上によかったと思う。反省会のようなものはなかったので、実際の講評は分からないが、ゲネプロに間に合わなかった若手メンバーや、ゲネプロまでは団長と一緒に観客席から見ていた合唱団のコーラスマスターも加わったことで、テノール1の声が大変パワフルになった。
本番であること、聴いていただけるお客様がいることで、我々一人一人の声量も大きく増したと思う。
アンコールが終わり、舞台裏にはけるとき、テノール歌手に皆さまからも我々も向けて拍手が向けられた。大変うれしい瞬間であった。
そして、思った。
これは私が人生で残した最後の最大の夢、ベートーヴェンの第九をプロのオーケストラの後ろで歌うという挑戦の、入り口に立つことができたんだと。
団員も皆さま、マネジャー、そして団長に心より感謝したい。