【本】『日本は誰と戦ったのか』 江崎道朗 KKベストセラーズ 2017年初版

ぎばーブック~ギバー(Giver)からの「本」の紹介

伝記・歴史・地理★★

紹介文

ルーズヴェルト民主党政権は、ソ連・コミンテルンによるアジアの共産化に協力した。安全保障・インテリジェンスの専門家が、日本ではほぼ紹介されない、アメリカの保守派による最新研究を『スターリンの秘密工作員:ルーズヴェルト政権の破壊発動』を軸に解説する。

きっかけ、紹介文より詳しく

きっかけは昨日のブログ(2021/8/14 『太平洋戦争の大嘘』を読む)に書いた通り、ハリーデクスターホワイトが何者かを知るためである。

この本のタイトルがそれを示唆している。著者ははじめにで、「日本は誰と戦ったのか。日本の真の敵は、アメリカではなく、ソ連・コミンテルンではなかったのか。」と書いている。

本書に進む前に、歴史教科書のおさらいをしておきたい。自分が教えられている歴史観はどうだったのか。頭の中にあるものだけを並べると、おそらく間違いがたくさん出てきてしまうので、教科書に照らして、以下の通りまとめてみる。

項目詳説世界史B新もういちど読む山川世界史
ヤルタ協定ドイツ処理の大綱、秘密条項としてドイツ降伏後のソ連の対日参戦などを決めた。ソ連の対日参戦とその条件について密約した。
大戦の最後(時系列で史実記載した後、)日本降伏直前のアメリカ合衆国とソ連の軍事行動は、戦後世界で主導権をにぎろうとする意図があった。(史実の記載は連合国が主語。)7月、アメリカ・イギリス・中国はポツダム宣言を発表して日本に降伏をよびかけたが、日本政府はこれを黙殺した
大戦の結果米ソ両国は、連合国の勝利に決定的な役割を果たし、戦後世界での指導的地位を認められた。資本主義対社会主義の両勢力はファシズム打倒で「連合国」を形成したが、大戦中をつうじてその対立が見え隠れし、勝利が確実になると深刻なものとなった。
戦後になると(中略)アメリカとソ連の2国に国際政治の重心がうつるにいたった。
ルーズヴェルト特段の記述なしニューディール政策を進めて世界恐慌にたちむかい、第二次世界大戦で全体主義諸国と戦い、戦後の国際秩序の方向性を指導し、4選をはたした唯一の大統領。
20世紀に登場した、偉大な指導者の1人である。
コラムに記載されており、彼の人格・能力・功績が称賛されている。
ニューディール
政策
(政策を記述した上で、)政府の強力な権限で経済を指導し、社会対立の拡大を阻止して、国民をおちつかせた。政策の記述がない。)政府が経済に積極的に介入し、生産の調整・公共投資・農産物価格の引き上げなどをおこなって恐慌を克服しようとするもので、
(中略)他方民主政治の基盤である「草の根」(グラスルーツ)を重視し、労働組合の発展をたすけるなど諸階級の利益を調整しながら恐慌対策を進めた点に大きな特徴がある。

出典は以下の通り。
詳説世界史B 山川出版社 2005年3月発行
新もういちど読む山川世界史 山川出版社 2017年7月発行

なお、高校の教科書は「世界史B」の方であり、概ね私の知識もこちらに即している。この比較をしてよく分かったことがある。教科書は、やはり史実を中心に書かれているということ。一方、大人のために出版された教科書と同じ体裁で出されている本は、大変に危険であるということだ。

史実よりも評価に力点が置かれている。確かにこの方が読みやすいし分かりやすい。ところが、それはその史観に洗脳されてしまうリスクが高い。これは、藤井厳喜氏がいう「ルーズベルト史観」ど真ん中なのである。

ヤルタ協定は、チャーチルとルーズヴェルトとスターリンの3人が写っている写真が有名で頭に残っているが、あまり詳しく書かれていない。

太字にした日本がポツダム宣言の採択を「黙殺した」という点は、誤りとは言えないが、それしか書かないとあまりにミスリードする言葉のような気がした。(以下を参照。)

ルーズヴェルトに対する称賛が大変気になった。これは一つの際立った見方である。ということは、逆に際立った見方があることに留意すべきであろう。ニューディール政策については意見は分かれるらしいが、「草の根民主主義」と絡めて評価する記述は、政策側のプロパガンダのように見えなくもない。

ちなみに昨日読んだ、『太平洋戦争の大嘘』では、ニューディール政策は完全に「失敗」していたと断じている。これも評価なので注意が必要だが、要するに両方の見方が存在するのである。Wikipediaのフランクリン・ルーズベルトを見ると、実質GDPも失業率も改善しておらず、ひとえに戦争への参加がすべてを解決したと言えよう。(ちなみに藤井氏は、ルーズベルトが猛烈に戦争を必要としていたのは、景気を回復させたかったからではないという立場である。)

詳説世界史B 山川出版社 2005年3月発行 P316-317
詳説世界史B 山川出版社 2005年3月発行 P316-317

作品を読みながら思ったこと-引用あり

Kindleで読んだのだが、ハイライトは何度70箇所に及んだ。しかもその大半が非常に長い引用である。
それだけこの本には、初耳の驚きべき情報ばかりが記述されている。
自分の無知を恥じたが、同時にいろんなことに思いをめぐらした。

  • 歴史はまず、事実と評価をはっきりと区別することが大事
  • その上で、その事実に至った背景を、できる限り知ることが大事。(これは教科書には全く書かれない。)
  • その際、複眼的な思考が何よりも大事。個人の歴史観はそのプロセスを経て作りあげないと危険である。
  • 生徒は教師から学び・教師は生徒に教える歴史教育は本当に大事。

本書を読むと、その瞬間に過去に学校でならった歴史を全否定するリスクがある。それはまず、事実と評価を分けるという基本的な作業をすることで回避できる。

おそらく全否定されたと思い込むのは、知らなかった事実が、全く想定されないことであり、あまりに強烈だからである。でも実際に上記教科書を振り返ると、別に変なことは書かれていないのだ。(参考のため上記に写真を添付。)つまり教科書では圧倒的に情報が足りないだけで、その事実に至った背景を丹念に拾っていくことで歴史の全体像が見えてくるのだと思う。

ちなみに厄介なのは、本当の情報が隠されるということだ。フーヴァーが記した「フリーダム・ビトレイド」であれ50年間世に出されなかったし、ソ連・コミンテルンのスパイたちの交信記録である「 ヴェノナ( VENONA)文書」が公開されたのも1995年のことである。

さて本書から例を挙げる。

アルジャー・ヒス 財務長官補佐官
ハリー・デクスター・ホワイト 財務次官補
ラフリン・カリー 大統領上級行政職補佐官

これらルーズヴェルトの側近たちが、ソ連の工作員であることがほぼ確実であるということ。

ヤルタ会談の外交団の主要メンバーは、ルーズヴェルトの他、ルーズヴェルトの非公式な特使としてハリー・ホプキンス、就任後二か月の国務長官のステティニアスの3人だった。これにルーズヴェルトが指名した無名の国務省の職員アルバート・ヒスを随行させ、(ステティニアス文書と日記によれば)会議はすべてアルバート・ヒスが仕切っていたこと。

ヤルタ密約の草案英語訳をソ連側が作ったこと。そして国務省を介さず密室で行った。議会の承認を得ずに調印することは憲法違反に当たるため、「政府」から「政府の首脳による会議」という表現を使った。

アメリカが日本に突きつけて日米開戦の直接の引き金になったとされる「ハル・ノート」の原案は、ハリー・デクスター・ホワイトが書いた。実際にはその原案は、ソ連の諜報機関NKVDがホワイトに指示して作成されたものだったこと。

1944年9月の第2回ケベック会談で、ルーズヴェルトは「モーゲンソー計画」という対ドイツ占領政策の書類に署名し、 あとになって「全く覚えていない」と言っていること、1945年2月のヤルタ会談では、英国外務次官アレクサンダー・カドガンは、ルーズヴェルト大統領 について「会議を主宰するよう呼ばれても掌握も 先導もできず、ずっと黙っていた。口を開けば的外れなことを言った」と述べており、ヤルタ会談では明らかに病人で、業務遂行能力を失っていた。

例は以上である。

これは証言や文書に基づくものであり、限りなく事実に近いものだと言える。ヤルタ密約は、ドイツ敗戦後90日後のロシアの対日参戦を決めたものである。これを国家間の会談ではなく事実上ルーズヴェルトがその取り巻きに任せて決めてしまった。実際にロシアは広島原爆投下後の8月8日(ドイツの敗戦日は5月8日)に日本に参戦する。

日本は昭和20年当時、日ソ中立条約を締結していたソ連を仲介に和平交渉をしようとしていたようだ。この日ソ交渉を利用して、スターリンは日本の終戦を意図的に遅らせようとし、アメリカ政権内部では、ソ連の工作員に近い立場であったとされるオーウェン・ラティモアにより、「無条件降伏」「皇室維持を認めない」という対日強硬案を提示させ、日本の早期停戦を潰したのである。(なお、本書では、「彼が共産党員、ソ連の工作員であったという証拠は今のところありません。(No.3038)」と言っている。)

さて、「はじめに」にさかのぼると、上記に関連する以下の記述を発見したので、それを引用しておく。

トルーマンは、ポツダム会談が始まる までに、解決不可能な二つのジレンマに直面していた。第一に、ソ連参戦は、日本を降伏させるには必要だと考えながら、できればこれを阻止したいというジレンマ。第二に、日本にたいし無条件降伏を押しつけたいものの、しかし終戦を早めるためには無条件降伏を緩和して、立憲君主制という形での天皇制の存続を認めよとする圧力に押されているというジレンマ。この二つであっ た。(注:『暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏』からの引用)

第一のジレンマについては、ポツダム会談当時、トルーマン大統領は「ソ連の参戦は、日本を降伏させるには必要だ」と考えていましたが、当時、米軍の幹部たちも国務省も「ソ連の対日参戦は不要」とする報告書を作成していました。ところが、それら複数の報告書は恐らく「側近たち」に妨害されてトルーマン大統領のもとには届かなかった、のです。トルーマンは「側近たち」によって「ソ連の参戦は、日本を降伏させるには必要だ」と考えるよう誘導されていたのです。  第二のジレンマについても、国務省や米軍の幹部たちの大半は終戦を早めるためには無条件降伏を緩和して、立憲君主制という形での天皇制の存続を認めようとしていました。ところが、トルーマン大統領の「側近たち」が無条件降伏にこだわっていたため早期終戦が実現しなかったのです。この「側近たち」とは、大統領最側近のハリー・ホプキンス、モーゲンソー財務長官の側近ハリー・デクスター・ホワイト、大統領補佐官ラフリン・カリー、国務省高官アルジャー・ヒス、蔣介石顧問のオーウェン・ラティモアたちです。いずれも本書で詳しく取り上げている人物ばかりです。

『日本は誰と戦ったのか』 江崎道朗 KKベストセラーズ No.125

今、この作品に出会い、両親がすでに生まれていた時代の認識が、斯くも知識不足ゆえにぼやっとしていたことに茫然とする。

ここで忘れてはいけないのは、3番目の「複眼的な思考」である。江崎氏は事実を提示しながらも、一定の歴史観を我々に語り掛けている。これを鵜呑みにするのは避けなければならない。本書はあくまで「スターリンによる秘密工作に焦点をあてたアメリカの反共保守派の『インテリジェンス・ヒストリー』を紹介しよう」とした書なのであるから。例えば、ドナルド・レーガンなどは、ルーズヴェルトのリーダーシップを賞賛したという。各人が各人の頭で考え、自分なりの歴史観を築き、今後の人生の糧にすればよいのだと思う。

最後に、やはり先生の影響力については書かざるを得ない。私が社会科に興味を持ったのは小学校のときである。当時通っていた塾の社会科の先生が明るくで元気で、授業が楽しかった。それが私を歴史・地理好きにさせた。そして、大学受験の予備校で、大岡俊明先生に出会う。長身・長髪・バンダナという一度出会ったら忘れられないいで立ちで、一切板書はせずひたすら話す。その情報量・知識量は圧倒的で、毎回テープ起こしに多くの時間を費やしたことを思い出す。そう言えば、代ゼミにも武井正教という名物講師がいた。A4版を見開きにして横に全世界を並べ、縦は年代で下ろしていく、年表さながらのテキストだった。

こういった先生の影響力は、生徒のその後の人生にとって、大変大きなものである。思い起こしてみれば、大岡先生はひたすら情報提供に徹していて、歴史の評価といったものにはあまり言及されなかった気がする。評価する場合でも、両方の見方を紹介していたような気がする。(遠い昔の話であり、ノートが出てくれば違っているかもしれない。)

一方、私がYouTubeで追いかけている現在の駿台予備校の教師、茂木誠先生(「もぎせかチャンネル」は、こちらをクリック)は違うタイプだ。史実を教えると同時に、強烈なメッセージも伝える。一定の社会人経験を経た大人から見ると、大変面白くかつ感動的な講義であるが、もしかしたら学生には強烈すぎるかもしれない。

そんなことを考えた。

余談:本日これを書き上げるのに費やした時間は5時間半である。もう少しさらさらと書けるようになりたい。

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