本日は、昨日のブログ(今までは「記事」という表現を使っていたが、どうもしっくりこない。ブログの方がいいと思うので変える)を書くのに7時間半要したので、他にしていたことは限られていたが、それでも、早速、ロマン・ロランの『ベートーヴェンの生涯』は読んだ。
ベートーヴェンを極めるというプロジェクトは、いずれ外に向かってアウトプットすることを意味している。そういった目的があって物事に取り組む場合、確かにちょっと意識が変わると言うプチ発見があった。
この著作は短いものでるが、ベートーヴェンの多くの曲について触れている。伝記らしき体で書かれているので時代順に曲が並んでいる。そのため、この作品で触れられている作品は全部控えておこうと思い、Kindleで青のハイライトをしておいた。
ある程度のクラシック・ファンを自認しているが、半分以上は自分が聴いたことがない作品である。
聴いたことがない曲の中で、『作品第百六番の奏鳴曲(ソナータ)』と、『荘厳な弥撒(ミサ)曲』は、ロマン・ロランに特別な思い入れがあるようだ。そして、作品第百二十七、百三十、百三十二の四重奏曲(クワルテット)も。
さて、徐々に古い昔の記憶がよみがえってきた。小学校のとき子供向けの伝記シリーズを読んでいた。野口英世とかヘレンケラーとかキューリー夫人とか。その中の一つにベートーヴェンがあったと思われる。
父親が大酒のみであったこと、父親も音楽家でベートーヴェンを毎日のように折檻していたこと、晩年はどうしようもない甥っ子のために精神を衰弱させ死んだこと。
確かにそうだったという記述がここでも書かれている。そして、そう思うと当時に、そのように辛いばかりの彼の人生にそれ以上深入りしたくなかったことも思い出した。辛辣で無残なまでの彼の人生に降りかかる災難が、自分の境遇とあまりに違うため理解できなかったこともあると思う。
そして、非常に大袈裟な彼の手紙の引用を見て、ひいたのだと思う。運命を嘆き、他人をののしり、絶望に打ちひしがれると思いきや、その直後には自分の能力を大いに称え、人を赦し、神に誓う。この喜怒哀楽に、ついていけなかったのだと思う。
自分は平和な国に日本人として生まれ、ごく普通の過程で育ち、当時温和な性格であったから、ベートーヴェンのありようには、想像力が働かなかったし、少年の私にはキャパオーバーだったのである。
この年になっても依然、彼の手紙は大袈裟だと感じる。しかし、人生を重ね、彼の苦悩を理解する許容量は少しは広がった。彼の人生について、改めて追いかけるのは今がタイミングなのだと思う。
仮に人様にベートーヴェンの作品を自分の切り口で紹介するのであるならば、もっともシンプルで自分の性格にあっている方法は、時系列に完璧に紹介していくことだ。
彼の人生を追いかけながら、「こんなとき、ベートーヴェンはこの曲を作りました」と紹介していくのが、よいのではないかと。
ところが、同時にこうも考えた。例えば、サザンオールスターズの歌を時系列に紹介するのは、意味があると思うが、そのとき桑田佳祐がどんなことに直面して、なにを思い、何をなしたか、なんて情報は本当に必要だろうかと。
リアルタイムで存在するアーティストであれば、むしろそのときは自分は何を思い、何をしていたのかの方にフォーカスした方が、時代を説明しやすい。
となると、もっとあの時代のドイツやオーストリアの歴史、いやヨーロッパの歴史を勉強しなければならないのか。うーん、これはハードルがますます高くなってきた。現に、ベートーヴェンは崇拝するナポレオンが皇帝になった瞬間に怒り狂い、彼のために書いた交響曲第3番の表紙は破り捨てられてしまったのだから、やはり、時代背景は知らなければいけない。
『 英雄 交響曲』がボナパルトのために、また彼について書かれ、最初の草稿が「ボナパルト」という題名を持っていることは周知のとおりである。その後ベートーヴェンはナポレオン戴冠の報道を耳にした。彼は憤激していった——「 彼もやはり凡人に過ぎなかったか!」感情を害した彼は献呈辞を引き裂いた。そして意趣ばらしであると同時にしかしまた感動力のある題名を書いた——「一人の偉人の追憶を讃えるための英雄的交響曲」。(Sinfonia Eroica composta per festeggiare il souvenire di un grand Uomo.)
『ベートーヴェンの生涯』 ロマン・ロラン 片山敏彦訳 古典教養文庫 原注(22)
最後に、有名な一節を引用しておきたい。ベートーヴェンに関するどんな本にも必ず載っているくだりである。原典はこの書だったのかもしれない。私は、このシーンだけは子供ごころながらに感動し、伝記を読みながら泣いた。今読んでも涙腺がゆるむのを禁じ得ない。
また、それに続く心痛むエピソードも併せて載せておきたい。聴力を完全に失った人間が、あのような作品群を作るとは、まさに神業であり、実際私は、ベートーヴェンは神の世界に片足を入れた人間だと信じている。
モーツアルトは神の子だとよく言われるが、それが正しいとして、両足が神の世界にあるモーツアルトより、人生の最後、神の世界に片足を踏み入れたベートーヴェンの方が、私にとっては、はるかに心を揺さぶられる存在である。
一八二四年五月七日に、『第九交響曲』すなわち『合唱を伴える交響曲』を指揮したとき(むしろ、その時のプログラムに書いてある言葉によれば「演奏の方針に参与した」とき)彼に喝采を浴びせた会場全体の雷鳴のようなとどろきが、彼には少しも聴こえなかった。歌唱者の女の一人が彼の手を取って聴衆の方へ彼を向けさせたときまで、彼はまったくそのことを感づきさえしなかった。突然彼は、帽子を振り拍手しながら座席から立ち上がっている聴衆を眼の前に見たのだった。—— 一八二五年頃に、ベートーヴェンがピアノを弾いているのを見た英国の一旅行者ラッセルのいうところによると、ベートーヴェンが静かに弾いているつもりのとき、音は少しも鳴ってはいなかった。そして、ベートーヴェンを生気づけている感動の様子を、彼の表情と力をこめている指とに見つめつつ、しかも音楽は少しも鳴っていないその光景の中にいると、胸をしめつけられるような気持がしたという。
『ベートーヴェンの生涯』 ロマン・ロラン 片山敏彦訳 古典教養文庫 No.624