【本】『掌の小説』~めずらしい人 川端康成 新潮文庫 1971年初版発行

ぎばーブック~ギバー(Giver)からの「本」の紹介

文学★★★

紹介文

掌編小説集『掌の小説』最後の作品。父は定年後も国語講師を勤めている。妻と別れて、娘と二人で暮らしている。ある日を境に、父は「今日はめずらしい人に会ったよ」と言い始める。めずらしい人の話がだんだん簡単になる。ある日娘はそれを確かめに駅に行った。

きっかけ、その周辺

川端康成の『掌の小説』を最初に買ったのはいつのことであろうか。おそらく20代だと思う。いわゆる日本の文豪と言われる有名人の中で、最後まで縁がなかった作家が川端康成であった。理由はよくわからない。本を手に取って読む気になれなかったというだけである。なので、社会人になって流石に何か読もうと思い、買ったのだと思う。

この本はそういった気まぐれな動機にぴったりの本である。文庫本で645ページもあるが、一つの作品は2~10ページしかない。各作品にストーリーの脈絡はないので、好きなところをつまみ食いすることも可能だ。ところが、最初の数作品読んですぐお蔵入りになった。

それから20年ぐらいの月を経て、もう一度買った。今手元にある本は、平成25年10月の七十七刷だから、2013年8月に中国から戻ってきた以降に買ったのだろう。前の本は間違いなく実家にあるが、赤茶けていて読む気が失せるので買ったのだと思う。

また、平成23年8月に改版とあるので、再購入したのはそれが理由かもしれない。
解説文あたりを調べると、改版にあたり11作品を追加していることが記されていた。この「めずらしい人」は、改版で加えられた作品の一つである。

会社を退職するに当たり、この本だけは読もうと決めた。何度も挫折を味わった本だが、これからはたっぷりと時間がある。またブログサイトを開いて当時「書評」を書こうと思っていたので、小分けにして書けば、しばらく書くネタが持つという打算もあった。

ところが、当初のその決意は、また踏みにじられた。挫折したのではない、別の形で成就したのである。どういうことかというと、読んだのではなくAmazon Audibleで聴いたのである。

松宮森乃というナレーターによる聴く読書は、実に素晴らしい体験であった。声には好き嫌いがあるので、ナレーターは大事だ。この方の朗読は私に合っていたのだ。

1度聞いてピンときた作品に〇、何となく気になった作品に△、よく分からなかった、あるいはつまらないと思った作品に×をつけて、最低2回は繰り返した。面白いもので、×は2回目も×が多かった。たまに△に格上げするものがあり、△が×に格下げするものもあるが、最初の印象から大きく変わることはなかった。

今後、△以上の作品については紹介していきたい。

「掌の小説 川端康成 新潮文庫」カバー写真

作品を読みながら思ったこと-引用あり

この作品は紹介文に書いた通り、全122編の一番最後を飾っている。私は、この『掌の小説』を時間の空いたとき、散歩しているとき、ときには風呂に入りながら聴いていたが、この作品を耳にしてしばらくして、俄然引き込まれた。

老人のわびしさや寂しさが、文章からにじみでている。そして、父が好きだった兄が結婚して家を出た後、残された父と娘。父に複雑な思いを抱いている娘との二人暮らしが、さらに老人のさみしさを際立たせるそして、ある日から父はめずらしい人をネタに娘と話をし始める。

これが本当の話なのかどうかは分からない。でも、多分に尾ひれ背びれがついているはずだ。その話が延々と展開されるわけではない。何といっても掌編小説だから。

 それからも父は、むかし縁があって、今は遠ざかっている人に、次ぎ次ぎと町で偶然に出会うらしい。そのたびに娘は聞かせられた。大学の友だちだとか、教師になってはじめて教えた学生だとか、むかしの家主の娘だとか、娘の母の親友だとか、むかしの尺八の相弟子だとか、むかしの山登りの仲間の姉だとか、田舎の村の人だとか・・・。しかしその人たちに会ったという父の話は、だんだん簡単になった。娘は疑わしいと思うようになった。

川端康成 『掌の小説』~めずらしい人 新潮文庫 P634

考えてみれば、定年後に国語の講師を続けている訳なのだから、年はまだ60歳代と考えるのが相応だろう。今の時代であれば、60代の老人はまだぴんぴんしているが、この物語に出てくる老人は、さながら70代後半だ。

昼は学校で国語を教えているのだから、ぼけているはずがない。そう信じたい。だから、娘との会話のとっかかりがほしくて、こんなストーリーを仕立てたのかと思うと、この哀愁はいかんとも形容しがたく、心に迫ってくる

自分も今後どのような老後を過ごすことになるか分からないが、せめてもう少しは、娘と照れずに話すことができる関係を築いておきたいと強く思った。

それから、娘は確かめに行くことになる。四日目に、次にシーンに出くわす。

四日目、父は駅へ入って来る中年のきれいな婦人を見て、立ちどまると首をかしげていたが、近づいて話しかけた。婦人はけげんな顔をした。思い出せぬという風である。父は何か人ちがいをしているらしい。娘は父に走り寄りたくなった。

川端康成 『掌の小説』~めずらしい人 新潮文庫 P635

川端は父の「めずらしい人」話しを、空想話として切って捨てなかった。父は娘のいないところで、実際にいろんな体験を重ねていたのだ。本当に奇遇が起きていたことにも含みをもたせた。また、娘も単に疑わしく思ってつけただけであろうか。父が心配になって、子として何かできないかという気持ちが、とっさに出てくるあたりは、やはり親子だ。

最小限の日常風景を、淡々とした筆致で描きながら、ここまで鋭敏に、父と娘の気持ちを読者に突きつけてくる文章術は、名人芸の業としかいいようがない。

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