文学★★
紹介文
電車で先輩の奥さんと向かい合わせに座った浅田は、遊び心からちょっとしたつくり話をこしらえて話しかけた。その後浅田は、作り話から先輩の家でとんでもないことが起きていることを知る。浅田が何を言っても、最早後戻りできない。

作品を読みながら思ったこと-引用あり
この作品は、2つの意味で面白い。1つはあり得ない展開のまま突き進むこと、もう1つは今の時代の女性は使わない言葉遣いでのやり取りである。
前者は是非読んでいただき、その不可思議さを堪能していただきたい。一方で、後者は具体的に紹介したい。
「浅田さん、あなたは大変なことをおっしゃいましたよ。あれ以来、家の中は嵐の前の静けさですよ。」
『掌の小説』~夫人の探偵 川端康成 新潮文庫 P243
「嵐?」
「そう。」
「嵐とはおかしい。」
「おかしければあなたはぼんやりだわ。」
「しかし――ありゃ僕が口から出まかせに言ったでたらめですよ。」
「嘘おっしゃい。」
「嘘ですって。――(以下省略)」
このやり取りが無茶苦茶小気味よい。私は、「ぼんやりだわ」という言葉を女性からかけられたことは一度もない。古き良き昭和の時代の表現なのだろうか。
少しだけあらすじに触れよう。浅田は、安藤の奥さんに「安藤さんの弟の新吉君にそっくりですね」という出まかせをいったのだ。それが、奥さんから安藤兄に伝わって、どんどんおかしくなっていくという話だ。
「家どころか、僕は新吉君にもう四年も会わないんです。僕のでたらめからそんなことになるなんて、そりゃ人生の倦怠に咲く妄想です。も少し気持ちを新しく……。」
『掌の小説』~夫人の探偵 川端康成 新潮文庫 P244
「いいえ、新しい神秘ですわ。」
このくだりも、神秘的だ。こんな会話、昭和40年代生まれの私は耳にしたことがない。もっと古い時代の会話なのだろう。それとも川端ワールドなのか。
そもそも、奥さん自身が旦那の弟に似ているというのは、変な設定ではないか。ただ、川端は変な設定だけで終わらせなかった。後半では奥さんが、子供が新吉に似ているかどうか見て頂戴という。これはちょっとえぐい。ここから先はちょっと想像つくと思うが、奥さんはあらぬ嫌疑をかけられて、家を追い出されてしまったのだ。
浅田はとんでもないことをしてしまったことになる。