【本】『掌の小説』~日向 川端康成 新潮文庫 1971年初版発行

ぎばーブック~ギバー(Giver)からの「本」の紹介

文学★★

紹介文

人の顔をじろじろ見る癖のある自分に、私は激しい自己嫌悪を感じている。なぜこんな癖が出てしまうのか。ところが、日向を見ているうちに遠い記憶がよみがえって、その理由が卑しい心の名残ではないことが分かった。それは、躍り上がりたい喜びであった。

「掌の小説 川端康成 新潮文庫」カバー写真

作品を読みながら思ったこと-引用あり

自分の癖や性格に自己嫌悪を感じることは、誰でもあると思う。今、すべてサラリーマンから解放されて、日々平穏な毎日を過ごしている自分に、自己嫌悪を感じる局面は減ったが、思い返せば、自分も自己嫌悪はいろいろあった。

癖と少し違うかもしれないが、人と仲良くなりたいのに、積極的に話しかけることができない。相手を必要以上に慮って、こちらから飛び込めない。また、有名人や偉い人に話しかけるチャンスが目の前に到来しているのに、声をかけることができない。変なこと言って馬鹿にされるのが怖い、話が続かないのが怖い。そんな自分の性格にはうんざりする。

私の例は「性格」なので、話はそれてしまったかもしれない。

この本の場合、人をじろっとみる忌まわしい「癖」は、決して自分の卑しい心の表れではなかった。過去に、盲目の祖父の不思議な行動が気になって、じろじろ見ていたことが原因であると、ふと腹落ちしたのである。

この癖を持つようになった私を、安心して自分で哀れんでやっていいのだ。こう思うことは、私に躍り上りたい喜びだった。娘のために自分を綺麗にして置きたい心一ぱいの時であるから、尚更である。

『掌の小説』~日向 川端康成 新潮文庫 P29

これで私は自己嫌悪から解放されたのだ。
清々しい喜びに満ちている作品という点で、芥川龍之介の『蜜柑』太宰治の『満願』と同じ系列の作品だと思った

一方でこうも思う。『蜜柑』は子娘の行動の理由を知って温かい気持ちになった。『満願』も患者の奥様の様子をみて胸が一ぱいになった。これらはいずれも相手の様子を見て、反応した自分のこころを描いている。だから、『日向』とは全然違うと。

掌編小説は、一瞬の出来事をさっと書いて終わるのだから、主人公の私はまたどこかで、自分の癖に嫌気がさすかもしれない。そんなことを考えた。

自分は性格の話をしたが、積極的に話すことができない自分に、未だ自己嫌悪を覚えることもある。

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