中国関連★★
紹介文
1989年6月4日の「天安門事件」。民主主義は正しい、それを潰すのは悪い、という紋切り型の「正論」は何も教えてくれない。それに関わった人たち60人にインタビューし、特に印象深かった十数人が見た天安門事件の姿と、その後の彼らの生きざまを描いた大型ルポ。
きっかけ、紹介文より詳しく-引用あり
Amazonの履歴によると、2019年10月に購入している。この頃は、仕事の行き詰まりを感じ始めていたころだ。何らかの情報ソースからこの本の存在を知ったのであろう。当時の状況を考えると、購入までに至る動機は弱かったと思う。しかし、それでも買ったのは、カスタマーレビューの評価が相当に高かったからではないだろうか。本日現在(2021年7月25日)4.5である。この手の本は、インタビュアーの視点から質問がなされ、彼の問題意識の中で語られるので、好き嫌いが分かれる。反対サイドの人からも高評価がつかないと、このレートにはならない。
序章は「君は八九六四を知っているか?」というタイトルだが、いきなり郭定京氏のインタビューから始まる。もともと郭定京氏と会ったのはこの本とは全く関係ない。打合せ後に、涮羊肉(羊肉のしゃぶしゃぶ。満州人の料理。)の店に連れていかれ、逆に「六四を知っているか?」と問われた。そのやりとりが安田氏の心を動かしたようだ。
「現代の中国で、また天安門の学生デモみたいなことは起きるでしょうか?」
話が一段落したところで尋ねると「難しい」と即答された。
「いまの若者はみんな一人っ子で、命を賭けるような行動は両親への孝行に反する。両親も子どもが民主化デモに行くなんて言い出せば必死で止めるだろう。それになによりーー。社会が当時と比べ物にならないくらい豊かで便利になったからね」(中略)
「じゃあ、デモに参加した郭さんみたいな人はどうですか。またやらないんですか?」
「同じことだよ。例えばいま僕はとても幸せだ。子供はいないけれど女房との仲はいいし、家も買った。仕事も面白くてやりがいがある。お金持ちじゃないけれど、日本に観光旅行に行けるくらいには暮らしの余裕もある」(中略)
「中国は民主化しなくても没問題(大丈夫)だったのですね」
『八九六四』 安田峰俊 角川書店 P23-25
「そうは認めたくない。ただ、現代の中国には社会問題が山積みだけれど、国民が体制を変えるために立ち上がるほどひどい国でもないんだ。癪だとは思うけれど、中国共産党はすでに大きな功績を挙げてしまった。その事実は認めざるを得ないさ」
彼はこのやり取りでルポを書くことを決めた。私がこの本を読もうと決めたのも、まさにこのやり取りが決め手になった。
一人っ子政策はさておき、郭さんの言いたいことは「豊かで便利になった」ことが、中国のすべてを変えてしまったということだと思う。民主化は大事だし必要だと思うが、国家・政府に戦ってまでも手にするものではないという、非常にシンプルで説得力のある回答だ。
1987年に旅行で北京に行った、その後1995年にも行った。台湾留学後の1997年にはツアーでない一人旅をして回った。それから、1998年・1999年は仕事で10数回往復した。
そして、2008年~2013年までの5年間、大連と上海の2都市に住んだ。
この間の変化ぶりは、とても口で説明することができない。この30年間で何もかもが変わってしまった。誤解を恐れずに言えば、今の中国の大都市は東京を超えている。スマホでタクシーを呼び決済は不要、コーヒーもアプリで事前予約し出来上がったら受け取りに行く、飲み会の精算も、その場で割り勘指定すればWeChat Payが自動的に過不足なく払った人にチャージしてくれる。
これだけ豊かになろうとも、天安門事件の傷は、確実にその場を経験した人間の心の中には残っている。それを私も知りたいと思った。生の情報を通じてマスコミでは報じられない本当の姿も知りたくなった。また、天安門事件って中国人にとって何だったのだろうか、それを改めて考えてみたいと思った。
ちなみに、5年間中国に住んで、面と向かって「天安門事件」について、中国人に聞くことはなかった。どこまで知っているかも不明なので、とても質問できる勇気はなかった。

作品を読みながら思ったこと-引用あり
読後の単行本にたくさんの付箋がついている。まずは、事件の真相に迫る証言からまとめてみたい。
天安門事件の死者数は中国政府の正式発表では319人(軍人含む)ということになっている。この数字は同年9月に李鵬首相が日本の訪中団に対する談話で発表した数字のようである。
ところが、イギリスの外交機密文書によれば、中国軍が殺害した人数は少なくとも1万人に上ると報告されていることが分かった。(詳細は、BBCニュース「天安門事件の死者は「1万人」英外交機密文書」を参照)
本書には、「二〇一七年一一月に明らかになった英国大使館の機密文書には、広場内での虐殺を示す詳細な記述があり(P47)」と書かれているが、広場内だけで1万人にも上るのであろうか。
319人との差は一体どこから来るのか。その一つの理由と思われることが、本書に記されている。
(緊急会議の決定に基づき、広場からの無血退去作戦が遂行されたが、)郊外から天安門広場まで東西を貫いて延びる大道路・長安街の沿線をはじめとした市内の各地では、武力行使が事実上容認され、最大の悲劇の舞台となったという。つまり、広場の外では、ためらいなく殺戮が行われたというのだ。
もっと衝撃的な情報もあった。郵電医院の庭にコンテナみたいな冷蔵庫が、ある日突然出現した。6月3日より前なのは明らかだそうである。武力鎮圧の翌朝になって使用目的が判明したという話である。
「鎮圧で死んだ人を、着衣のまま透明なビニール袋に入れて、冷蔵庫の中に何人も収容していたんだ。その後も二週間ほど、コンテナは病院の庭に置かれたまま。夏だから、冷蔵庫のなかでも死体が腐って周囲に臭いが漂っていた。二週間後に、どこかの中年の商店主が遺族に引き取られた光景を覚えている」
『八九六四』 安田峰俊 角川書店 P183-184
軍の投入で多数の死者が出れば、市内の病院の霊安室が足りなくなる。当局はあらかじめそれを見越したうえで、臨時の死体置き場を手配していたと考えてよかった。
戒厳部隊は予想外の事態に混乱してやむを得ず発砲したのではなく、最初から相当数の人間の殺害を想定していたということだ。
次に、天安門事件以降の、香港・台湾での民主化運動についてまとめてみたい。ジャスミン革命(中国)、雨傘革命(香港)、ひまわり学生運動(台湾)である。
ジャスミン革命は、一青年の焼身自殺事件に端を発する反政府デモが国内全土に拡大し、軍部の離反により大統領がサウジアラビアに亡命し、23年間続いた政権が崩壊した事件である。ジャスミンがチュニジアを代表する花であることから、このような名前がネットを中心に命名されたと、Wikipediaに書かれている。
ここでいうジャスミン革命は、その直後の2011年2月に中国で起こった、一党独裁を打倒して民主化を呼び掛けるデモのことを言う。計画はされていたが、警察による厳戒態勢のもと、大規模な運動に発展することはなかった。Wikipediaでは中国ジャスミン革命として、チュニジアの革命と区別している。
当時の私の記憶では、微博(Weibo)というスマホのブログサイトを利用して、一気に運動が各地に広まったことから、インターネット社会の到来により中国共産党の一党支配は危うくなったと、多くの人が感じた事件であった。
本書ではジャスミン革命はほとんど触れられていない。なぜならば、当時の主要人物にインタビューをしていないからだ。
次の雨傘革命については、一つの章を割いてかなり丁寧にインタビューしている。雨傘革命は、2014年9月より香港で行われた、香港特別行政区政府に対する抗議デモである。
本書は「天安門事件」の本なので、天安門事件を軸に雨傘革命が論じられているのだが、面白い分析が紹介されていた。
香港の天安門追悼運動は2000年代に入っていったん低迷し、2009年から再び活発化した。そして2014年まで参加者が増加し続けて、雨傘革命を経た2015年から漸減しているという。
その理由は、2008年のリーマン・ショックをきっかけに、香港人の中国人に対する感情が一気に悪化したからだというのだ。香港はリーマン・ショックで大打撃を受け、一方、中国は四兆元規模の財政出動により乗り切り、一人勝ちした。結果、大勢の中国人観光客が香港にやってきて、露骨に札ビラを切って香港人を見下すような姿勢をとりはじめたという。
そんな中、香港の雨傘革命は発生した。当時は民主派と言われる中国の民主化を求める人たちが動き出し、それから、本土派と言われる香港の独立を唱える若者グループが台頭する。そして親中派も存在していた。少し分かりにくいが、本質的には反中国運動である。(なので、中国の民主化を求める人たちが求心力を得るのは難しい。)
本書は2018年4月上梓だが、「雨傘革命の失敗以降、中国政府による香港への締め付けはいっそう強まった」と書かれている。2019-2020年に起こったその後の顛末までは予想できなかっただろう。
2019年-2020年香港民主化デモは、2020年6月30日、中国の全人代が「香港国家安全維持法」を香港の議会を通さずに全会一致で可決したことで終結した。その後、周庭(アグネス。チョウ)、黎智英(ジミー・ライ)そして黄之鋒(ジョシュア・ウォン)が逮捕され、禁錮刑に処されたのは周知の事実である。
さて、本書は、ジャーナリスト、会社経営者、民主化活動家、タクシードライバー、無職・難民申請者など、前科者など、インタビュイーは実に多種多彩であるが、当時の民主化運動の指導者であった、王丹とウアルカイシ(吾爾開希)のインタビューもしっかりと行っている。
私は、王丹という人には、これまでほとんど注目してこなかった。名前以外何も知らなかった。ウアルカイシはウイグル族なので、名前に特徴があるのと、今でもインタビューをよく受けるので、天安門事件の学生のリーダーはこの人だと思っていた。(実際には、王丹が指導者の筆頭だったようだ。)
王丹の章で、著者は開口一番、以下のようにつぶやく。
「これまでに話を聞いたなかで、もっともつまらない取材ではないか。場所は台湾、台北駅にほど近い喫茶店。スマートフォンの録音アプリを起動してから十五分ほど経って時点での私の感想である。もっとも、それは充分に想定内のことでもあった。(P238)」
また、途中でこうも言う。
「彼の一連の答えもまた、模範解答例としては間違いなく二重マルが付く。だが、それが多くの人のハートを熱く動かし、社会を変革する力を持ち得るのかは別の問題だ。(P241)」
「不思議なインタビューだった。なぜ、こんなに頭の回転が速くて個性的な人が、これほど魅力に欠けた没個性的な話を、真摯な姿勢で語り続けることができるのか。(P243)」
一方、ウアルカイシについてはこうだ。
「正直なところ、ウアルカイシへの取材はよい意味で予想を裏切られた。事前に彼についてさまざまに報じられた内容を調べたり、従来の取材の過程で耳にしたりした話から判断して、もっと尊大で魅力の薄い人物ではないかと心配していたからだ。だが、彼は尊大どころか憎めない人懐っこさがあり、顔を合わせていて楽しい相手だった。(P254)」
著者の記述を正確に追いかければ、必ずしも上記の感想通り、王丹はつまらない、ウアルカイシは面白いという一方通行の書きぶりにはなっているわけではない。それでも心情的にはやや王丹に対しては不満を持っているように思われる。
そういう意味で私は全く正反対であった。王丹ってものすごい人なんじゃないかと、俄然彼に対する興味が湧いてしまった。
彼の主張の一部を要約するとこうだ。
- 確かに現在の民主化運動は低調である。しかし歴史の観点から見れば25年の時間は決して長いものではない。
- 中国は1919年の五四運動以来反対運動は経験して来なかった。抵抗の歴史は1989年からやっと始まった。もっと長い時間が必要で、経験と知識を積んでいかなくてはならないはず。
- 中国は非常に特殊は発展モデルを歩んでいる。経済発展はよいことで社会は安定化するが、中国は国内の治安維持に大きな予算をつぎ込んでおり社会は安定化せず矛盾をはらんでいる。
- 多くの社会運動は最初の段階において、やはり後世の目からは不十分に見える部分も多い。すぐに民主化の要求に直結するものではない。
- 現在の中国の若者は現実に対する不満は大きくない。しかし現在はインターネットがある。若者は世界について知らないことを知りたがるものなので、希望はある。
- 中国に限らずいずれの国家であれ、社会に何も変化が起きないことはあり得ない。中国共産党の統治があと100年続くとは思わない。あと10年か20年経てば非常に大きな変化が起きると思う。
この大局観に思わず引き込まれてしまった。彼は決して、当たり障りのない教科書的なことを繰り返し述べている訳ではない。その背後に確固たる信念があって初めて、このようなことを淡々と語ることができるのだと思う。ちなみにインタビューは、2015年9月に行われている。10年後は2025年である。そのスパンで非常に大きな変化が起きると思うと言っている。今の中国情勢を考えると、いい線行っているのではないだろうか。
「私は確かに何百回も同じ事ばかり尋ねられてきましたが、自分はそれに答え続けるべきだと考えています」
「とはいえ大変ではありませんか」
「いや、これでいいんですよ。その理由はまず、人間は生きていくうえで、一切のことが思い通りになるわけではないですから。ゆえに、ともかく自分がすでにこの道を歩んだ以上は、今後もしっかりと歩んでいくべきだと思うのです。また、現在の中国人は誰も表立って中国共産党に反対しません。ですから私はあえて声を上げて批判をします。これは誰かがやらなくてはいけない役目なんです」(P246)「では、仮に天安門事件が起きていなければ、どんな人生を送っていたと思いますか?」
『八九六四』 安田峰俊 角川書店
「本質的にはそれほど変わらなかったでしょう。学生にものを教えて文章を書いて、やはりアメリカに留学していたかもしれません。事件があってもなくても、私はきっと似たような仕事をしています」(P252)
王丹は現在52歳。このインタビューを受けたときは46歳という若さである。この達観はどこから来るのだろうか。静かにそして思慮深く、民主化実現のため中国共産党に抵抗している姿に、静かな闘志を感じる。それ以上に、運命をそのまま受け入れて生を全うしようとする姿勢が、私を惹きつけた。
ウアルカイシについては、著書の感想を一言だけ引用しておく。「ウアルカイシは理論家でも政略家でもないのだが、天性の扇動家だ。その才能の片鱗は、事件から四半世紀が経って、往年のスマートなルックスや時代の追い風といったレバレッジを失った現在でもなお、彼のなかに濃厚に残っていた。(P258)」
ここで、当時の李鵬首相との会見の貴重な映像がYouTubeにアップされていたので、リンク(八九六四 – 1989年5月18日 (星期四) 李鵬與王丹、吾爾開希等學生代表會面)を貼っておく。ウアルカイシの、時の政権ナンバー2に対する傍若無人の機関銃トークはすごい。(それに対して、最後「これは対話になっていない」としか言えなかった王丹は、かなり残念な感じである。)
香港・台湾での民主化運動で、一つだけまだ書いていないものがある。それは、ひまわり学生運動についてである。本書ではヒマワリ学運として、以下のように紹介されている。
「二〇一四年三月に台北で発生した学生運動だ。当時、総統の馬英九が中国と結ぼうとしていた中台サービス貿易協定に反対する学生運動グループが立法院の建物を占拠し、やがて五〇万人規模のデモを組織して政府当局と交渉。ついには世論の後押しも受けてサービス貿易協定を実質的に棚上げさせ、奇跡的な無血勝利を挙げた事件である。(P263)」
なぜここで取り上げたかというと、本件に王丹もウアルカイシも関係しているからだ。当時二人とも台湾にいて、学運のリーダーは王丹から学び、ウアルカイシは占拠中の立法院に足を踏み入れ、学生たちと言葉を交わしたという。
中国・香港・台湾の学生から発した運動は、ひまわり学生運動だけが成功した。そこに、王丹とウアルカイシがいたという歴史のめぐり合わせが面白い。
ここですべてを紹介することは不可能だ。
前科者は、この中国の社会で、民間で共産党以外の強い組織を作るだの、イデオロギーを統一するだのは簡単ではないという。
投資会社幹部は、天安門事件のときにみんなが本当に欲しかったものは、当時の想像をずっと上回るレベルで実現されてしまった。だから、いまの中国で学生運動なんか決して起こらないという。
ジャーナリストは、あんなに強かったソ連がボロボロになって、国家は分裂して社会も大混乱だ、同じことが中国では起きてはいけないという。
難民認定を受けタイにいたものは、取材から五か月後中国に強制送還させられ、その後消息を絶つという話も書かれている。
すべてのインタビューが新鮮で魅力的であり、天安門事件が彼らに残した影は、各種各様である。最後に、虎ノ門ニュースのレギュラーにもなっている石平さんへのインタビューも書かれていることを付記しておく。
今の中国を知る上でも、非常にお勧めの一冊である。
新書が出ていたので、そのリンクをつけておく。完全版とあるので、少し加筆しているものと思われる。