【本】『恩讐の彼方に』 菊池寛 青空文庫 1999年公開

ぎばーブック~ギバー(Giver)からの「本」の紹介

 文学★★★

紹介文

市九郎は主人の妾と通じたため、主人の太刀を受け、逆上して主任を殺してしまう。妾と逃げ、おいはぎで生計を立てる極悪人となっていく。ある日悔恨の念が沸き上がり、妾から逃げ、仏門を叩く。非業の死を遂げた遭難者にお経をあげたきっかけから、彼の心にある大誓願が浮かんだ。

きっかけ、紹介文より詳しく

この本は中学生の時に、塾の課題図書として読んだ。当時通っていた塾の名は桐杏学園。開成中学の合格者数を売りにしていた西日暮里にある学習塾である(今はもうない)。私は高校受験のためにそこに通っていた(この塾は中学受験で有名で、高校受験コースに通っている人は少なかった)。国語の先生は真木先生。おそらく3年間一貫してこの先生が担当していた気がする。当時の塾はまだお手製感が強く、(特に高校受験コースはこじんまりしていたので、)真木先生の方針で毎月課題図書というものがあった。これを読まないと、毎月のテストで15点ぐらい損する仕組みであった。はっきり覚えているのは、「恩讐の彼方に」だけではなく、「俊寛」と「形」という短編も課題図書に含まれていたことだ。そして、「恩讐の彼方に」と並んで有名な「父帰る」が、課題図書に入っていたかどうかの記憶があいまいである。

さて、当時の私はこれらの作品を読んで、昨日時点で、以下のように記憶していた。
「恩讐の彼方に」はものすごく感動した。感動したという感情だけが残っていて、物語は何一つ覚えていない(本当に手がかりすらないほどきれいに忘れ去られている。)
「俊寛」は短編であったこと以外、感動したのか、つまらなかったのかも含めて、何も覚えていない。
「形」は不正確ながら今でもあらすじを覚えている。戦では百戦無敗で敵が見たら逃げてしまうほどの勇猛な武士が、ある戦で若武者に甲冑一式を貸した。結果、若武者は功を立て、その勇猛な武士は命を落としてしまうという話。このように書くと余りにつまらないが、敵を殊更にビビらせていたのは、甲冑という「形」であったという教訓が描かれている。

さて、話を戻すが、今更なぜ「恩讐の彼方に」かというと、子供が春休みの宿題で読んだからである。子供の学校は自主性に強い思い入れがあるので、本も子供たちに選ばせる。子供はなぜか菊池寛を指定した。そこで私は、「恩讐の彼方に」を勧めたのである。ストーリーは何一つ覚えている訳ではないが、「感動した」という強烈な思いだけが残っていたからだ。その流れで子供と話してみると、どうやら「形」という小説は中学生の国語の教科書に載っているらしい。確かに話は面白くそこから得られる教訓も示唆に富んでいる。

このような訳で昨日同書を30数年ぶりに読み返してみた。ちなみにAmazon Kindleならば青空文庫でただで読むことができる。

読書中、思ったこと・感じたこと-引用あり

紹介文に書かれた後がこの本の核心だが、その少し前から触れてみたい。
市九郎が何のあてもなく駆け込んだところが、宗教を司る寺であり、また真言宗であったことが、この物語の舞台設定と主題を明確にしている。「宗教的な光明に縋ってみたい」という市九郎の心境はよくわかるが、非業の死を遂げた不幸な遭難者が、鎖渡しの難所で命を落としたと聞き、そこに駆けつけ次のように思ったのは、(宗教的というあいまいなものではなく、)「真言宗」に帰依したからだと思った。

 市九郎は、岩壁に縋りながら、戦く足を踏みしめて、ようやく渡り終ってその絶壁を振り向いた刹那、彼の心にはとっさに大誓願が、勃然として萌した
 (中略)今目前に行人が艱難し、一年に十に近い人の命を奪う難所を見た時、彼は、自分の身命を捨ててこの難所を除こうという思いつきが旺然として起こったのも無理ではなかった。二百余間に余る絶壁を掘貫いて道を通じようという、不敵な誓願が、彼の心に浮かんできたのである。
 市九郎は、自分が求め歩いたものが、ようやくここで見つかったと思った。一年に十人を救えば、十年には百人、百年、千年と経つうちには、千万の人の命を救うことができると思ったのである。

『恩讐の彼方に』 菊池寛 青空文庫

今私は縁あってチベット密教について学んでいる。日本の空海が開いた真言宗は中期密教と言われているが、密教では欲は大いに結構と教えている。ただし、小欲ではなく大欲を持てというのがその教えの要諦だそうだ。まさに、市九郎は大欲を得たのだった。これは中学生のときには味わいえない伏線であった。

そこから先の市九郎の行状は察しがつくであろう。行人は「とうとう気が狂った!」と嗤ったが、市九郎は屈しなかった。九年たって事業の可能性に気がついた里人はようやく手を貸すようになるが、すぐに落胆疑惑に変わる。十三年経ってまた手伝い始めたがそれも一年しか持たない。

その間の、菊池寛の市九郎の描写が読み手の心を打つ。例えばこんな表現である。

市九郎は、洞窟の中に端座してからもはや十年にも余る間、暗澹たる冷たい石の上に座り続けていたために、顔は色蒼ざめ双の目が窪んで、肉は落ち骨あらわれ、この世に生ける人とも見えなかった。が、市九郎の心には不退転の勇猛心がしきりに燃え盛って、ただ一念に穿ち進むほかは、何物もなかった。

『恩讐の彼方に』 菊池寛 青空文庫

四章に入ると、殺害された当時3歳の赤子であった主人の子が敵を討ちに市九郎の前に現れる。お家取り潰しに遭い、一家再興の肝煎りを願って、実之助は報復の旅に出ていた。九年が経ちようやく奇跡的に相見ゆる日が来たのだ。ある夜洞窟の中に忍び入って、市九郎を討とうすると、次のような光景に出くわす。

 そのしわがれた悲壮な声が、水を浴びせるように実之助に徹してきた。深夜、人去り、草木眠っている中に、ただ暗中に端座して鉄槌を振っている了海の姿が、墨のごとき闇にあってなお、実之助の心眼に、ありありとして映ってきた。それは、もはや人間の心ではなかった。喜怒哀楽の情の上にあって、ただ鉄槌を振っている勇猛精進の菩薩心であった実之助は、握りしめた太刀の柄が、いつの間にか緩んでいるのを覚えた。彼はふと、われに返った。すでに仏心を得て、衆生のために、砕身の苦を嘗めている高徳の聖に対し、深夜の闇に乗じて、ひはぎのごとく、獣のごとく、 瞋恚の剣を抜きそばめている自分を顧ると、彼は強い戦慄が身体を伝うて流れるのを感じた。

『恩讐の彼方に』 菊池寛 青空文庫

最終の結末については、敢えてここでは触れないことにする。

本を読み終えて

私は中学のとき「ものすごく感動した」。この思いだけが30数年引き継がれた。さて、当時の自分はいったい何に感動したのか。今ではその時感じたことを再現することは不可能だが、コツコツと努力することの大切さ・すごさが、心を捉えたのかなと推測する。また、もしかしたら不動心のようなものにも、心惹かれたのかもしれない。

実際に、自分はコツコツと努力する人間であった。塵も積もれば山となることのすごさを、あのときすでに何となく分かっていたような気もする。不動心については、自分は八方美人で他人の影響をきわめて受けやすい性格であった(今でも変わらない)ことから、とてもあのようにはなれないと感じつつ、人間力を養い蓄えるには不可欠な要素であると、そのとき感じたのかもしれない。

さて、今再読して何を思うのか。明治の文豪の筆力のすごさに改めて圧倒された。最近、子供が読む本を同じタイミングで何冊か読んでいる。山本文緒、西加奈子、原田マハ、もちろん楽しめる。テーマが違い過ぎるので、簡単に比較できないが、人の心に突き刺さる深度のようなものの次元が異なっているように感じた。本作品で言えば、主人公の心の描写である。これが圧巻で、私の心を直接えぐってくる。

そして何より心を捉えたのは、市九郎に降臨した「大誓願」である。それは、とんでもない悪行所業を重ねた挙句、仏門を叩き、出家して、「諸人救済の大願を起し、諸国雲水の旅に出た」後、ようやく出会った、彼の人生の大舞台であり、人生そのものだ。

私は今、自分が本当にしたい仕事を見つける旅の途上にある。好きなことに没頭して毎日を過ごしたい。その思いはいささか真面目なところから発している。ゴルフをし好きな音楽を聴いて酒を飲むを生活したいと思っている訳ではない。寝食を忘れて朝から晩まで没頭してしまう何かを求めている。それは、作りだすものではなく、必ずどこかにあって見つけるものだと思っている。市九郎が衆生済度の旅に出たのは美濃国であった。そしてたどり着いた鎖渡しは豊前国である。それまで何年費やしたかは書かれていないが、鎖渡しで過ごした二十一年と比べれば遥かに短いであろう。私は今その旅に出たばかりである。

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