【本】『掌の小説』~五拾銭銀貨 川端康成 新潮文庫 1971年初版発行

ぎばーブック~ギバー(Giver)からの「本」の紹介

文学★★

紹介文

芳子は戦前、二円のお小遣いをもらっていた。ある日文鎮がほしくなり、三越に十日通い続けて買った。四拾銭だった。それから大分経ってから母と三越に買い物に出かけた。母は蝙蝠傘を買おうかさんざん迷った挙句、買わなかった。戦後それは二百円に上がっていた。

作品を読みながら思ったことー引用あり

いつまで経っても貧乏性が抜けない私は、この小説の芳子や母の気持ちがいたいほどよくわかる。

母親がこうもり傘を買おうとするシーンは昭和14年と書かれている。文鎮はその3年ほど前であることが推測できる。当時のお金の価値が正確には分からないが、二円は今の5,000円ぐらいではないかというネットの情報があった。とすると、文鎮は1,000円となる。一方、蝙蝠傘は小説では九拾五銭と紹介されているので、約2,500円だ。傘の値段はピンキリだが、今の時代であれば、それほどお買い得商品とは言いにくい。

とはいえ、このぐらいの価格の買い物で、ものすごく迷いという体験は、私の中で日常茶飯事だ。先日も仏像のガチャガチャを買うのに、ほしい仏像だけを最低価格でゲットするために、アマゾンで1時間ぐらいかけて検索した。

こんな私の感覚と同じにされては、川端としては納得がいかないかもしれない。小説には、次のように書かれている。

高が四拾銭のものを買うのに十日近くかかるなど、大袈裟なと人に笑われそうでも、そうでないと芳子は気がすまない。うっかりいいなと思って気紛れに買ってから後悔するようなことはしなかった。これならと見極めがつくまで幾日も眺めて考えてみる、それほどの思慮分別が十七の芳子にあったわけではない。しかし大切なものと頭にしみこんでいるお金を、安っぽく使うことが空恐ろしかったのである。

『掌の小説』~五拾銭銀貨 川端康成 新潮文庫 P512

こう書かれている以上、私の散財ぶりはやはり目に余る。教訓にしなければいけない。

この小説の中心は、文鎮より蝙蝠傘だ。芳子は心の中で安いと思っているのに、「不断のはうちに持ってるでしょう。」(なぜか「普段」ではなく「不断」と当てている。)と言ってすんなり同意しない。それから母親は、「誰かに譲って上げたって喜ばれますよ。」と言って、傘がいかにお値打ちものであるかを娘に説明する。

それに続く文章である。

「ねえ、芳子、どうかしら。」
「そうねえ。」
芳子はやはり気の進まぬ返事をしてしまったが、母の傍へ寄ってとにかく母によさそうな傘をさがしてみた。
 人絹の薄物を着た女の人達が安い安いと言って、入れ替り立ち替り無造作に買って行く。
 芳子は少し顔をこわばらせて上気したような母が気の毒になり、自分の躊躇が腹立たしくなって来た。
「どれでも一本、早く買えばいいじゃないの。」と言うつもりで芳子が肩を振り向けると、
「芳子、よしましょう。」
「え?」
 母は口のあたりに弱い微笑を浮べて、なにか振り払うかのように、芳子の肩に手をかけてそこを離れた。でもと今度は却って芳子がなにか心残りだったが、五六歩行くうちにせいせいした。

『掌の小説』~五拾銭銀貨 川端康成 新潮文庫 P515

この母親の、逡巡した挙句に、きっぱりとやめる決意もよく分かる。ほしいときは、ほしい一辺倒で考えるので、要らない合理性が頭に浮かばない。それで、周りも巻き込んで、さんざん迷った末、買うのかと思いきや「やめた」というのは、周りからすればいい迷惑だ。これは、小説には書いていないが、おそらく母は何か合理的な理由を見出した訳ではなかろう。

でも、そんな経験は自分も一度や二度ではない。

小説の締めくくりに、昭和21年には蝙蝠傘が百円か二百円になっていたことが示唆されている。

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