【本】『掌の小説』~質屋にて 川端康成 新潮文庫 1971年初版発行

ぎばーブック~ギバー(Giver)からの「本」の紹介

文学★★

紹介文

彼は質屋でその息子と会話をしている。そこに長襦袢を持って、金を借りたいという男がやって来た。初めての客にはルールですぐには貸せない。ところが男にとっては予想していない事態が待っていた。次に第二の男が来る。この客は現金を質入れしに通っているという。

「掌の小説 川端康成 新潮文庫」カバー写真

作品を読みながら思ったことー引用あり

掌編小説なので、短いのは当然だが、ちょっとした意外性を織り込んで飽きさせない。また、今日とは時代背景が大きく異なっており、当時の状況を垣間見れる点も面白い。

小説では明かされていないが、男は結核である。質屋で血を吐くシーンがある。

「それでも君は……。」と、男は長襦袢を掴んで新聞紙に包もうとした。その新聞紙の血のしぶきをあわてて膝に隠しながら、
「君は血が通っているのか。血が?」
「お気の毒さまです。吐いてもいいほど余分の血は通っていませんよ。」
「なにっ!」と、激しい咳と同時に唾を格子に吹きかけた。
「これが人間の血だ。覚えておけ。」

『掌の小説』~質屋にて 川端康成 新潮文庫 P325

今の世の中とてもお目にかかれない光景だ。結核患者が町をうろついていること自体もそうだが、この激しいやりとりはちょっとばかり異常である。
すべてを書いてしまうと気が引けるので、思わせぶりだが、その後男は、目的を達して帰るのだ。どうやって目的を達するか、気になるようであれば、ぜひ原作を読んで見てほしい。

男が帰ったあと、息子がいうセリフが印象的だ。
あんな肺病の黴菌の巣みたいなものが預かれますか。あんな芝居がかりな横柄な口をきいて、あいつきっと社会主義ですよ。

今では、社会主義という言葉はあまり聞かれなくなったかもしれない。ソ連が崩壊して、今や中国共産党が世界を席巻しようとしているが、中国はその名の通り「共産主義」である。(鄧小平時代の中国は、「社会主義市場経済」というように、社会主義という言葉を使っていたが、今の時代、自分は「社会主義」という言葉は死語になったと感じている。)
いずれにせよ、共産主義・社会主義が、日本においては非常に異分子の目で見られていた時代である。

さて、これに続いて第二の男が登場する。現金を質入れにやってくるというのだ。これって「???」ではないか。モノを質に入れて現金を借りるのが質屋な訳だから、現金を質入れして何を借りるというのだ。

彼は息子に鋭い質問を投げかける。
「利子はどっちから払うんだ。」
これに続く息子のセリフを引用する。

「品物と同じに向こうから払うと言うんですよ。ーー近所の手前だそうです。あの家では終始質屋通いをしているから困ってるんだなと、思わせておきたいらしいんです。さっきの病人と正反対ですね。」

『掌の小説』~質屋にて 川端康成 新潮文庫 P327

世間の目が気になるというのは、日本独特の文化なのか。外人に英語で日本人のことを説明する際、この考え方を紹介できるようにしておこう。

村八分という言葉は死語か化と思ったら、そうでもなかった。つい先日、村八分を受けた男性が勝訴したという記事が、日本経済新聞に掲載されていた。(この記事は一定期間経過後削除される可能性があります。)

共同体というのは、このように働くと、本当に恐ろしい。また、先日とある人から、田舎では保険金を受け取らない、放棄するのが今でも当たり前だという、嘘のような話を聞いた。夫が死んで生命保険が下りるのに、それを受け取ったら近所の人に何を言われるか分からない。結局、その社会の中で生きにくくなってしまうというのだ。

話は小説からそれた。ちなみに、最後に一番得をしたのは彼だった。どんな得だったのか気になる方は、ぜひ原作を読んでみてほしい。

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