文学★
紹介文
携帯電話を拾った主人公が、見知らぬ相手のメールに励まされながら作品を書く「空を待つ」、足が炎上する男を目撃するため、友人と奔走する「炎上する君」、お尻のパーツモデルをしている私が、ある日謎の男にお尻を預けませんかと勧められる「私のお尻」など8編を収録。
きっかけ、紹介文より詳しく
子供が出版社主催のアート・コンテストで賞をもらった。賞品として、本を20冊プレゼントしてもらえることになった。親である私が子を差し置いて、最近の売れっ子作家の中から、裏表紙を読んで面白そうなもの20冊を選んだ。そのうちの1冊。
西加奈子は、かつて「窓の魚」を読んだことがある。わずか数年前の話だ。しかしながら本のタイトルも忘れてしまいそうなほどで、何も覚えていない。もしかしたら、最後まで読み通していない可能性すらある。
それでも、デビュー後すぐに「さくら」でブレークし、「サラバ!」で直木賞を獲得した作家なので、今度こそ期待したいという思いで選んだ。
また、私はAmazon Audibleに加入している。そこで無料コンテンツの「Audible文学チャンネル12本セット」というトーク番組をダウンロードした。ナレーターは伊集院静と阿川佐和子だが、西加奈子編は大変面白かった。関西弁丸出しでマシンガントークの西加奈子は、人をまったく飽きさせることがない。例えば、「コンビニ人間」でブレークした村田沙耶香(年下の仲のいい友人らしい)を、翻訳本が先に出されてしまったことに対して、「歯ぐきから血出るほど悔しい」と連発したり、自分を発掘してくれた編集者を「正直すごく問題のある人」とストレートに評したり、とにかく明るくて楽しい人である。
ネタバレにならない範囲で作品についても言及したい。
冒頭の作品である「太陽の上」は、設定があまりにふしだらで、そちらのトンデモ設定に頭が行ってしまって何が言いたいのかよく分からなかった。ピース又吉の解説を読んで初めて、これは「あなた(主人公)」からの視点なんだと教えてもらった。
「空を待つ」は設定が面白い。最後までメールの向こうの見知らぬ人である「あっちゃん」が誰なのか、わくわくしながら読んでしまう。
「甘い果実」は作家志望の書店事務員が、山崎ナオコーラを意識して、意識して、意識しまくって、最後サイン会で本人に会うという設定。これは発想が豊か過ぎて、ちょっと着いていくのが大変な小説である。
「炎上する君」は、荒唐無稽な「足が炎上している男」が登場し、西ワールドがさく裂するが、私と友人の浜中の会話が小気味よくて爽快である。
祖母のひさ江は、宇津木という初老の財産家と若くして結婚した。自分のことを「トロフィーワイフ」だと言って孫に言い聞かせ、自分の昔を回想する。ストーリーは淡々と進んでいく。
「私のお尻」は、パーツモデルの職を得て、自分に自信が持てるようになり、経済的にも潤った私が、お尻に嫉妬して嫌気がさしてしまう。そのタイミングで謎の男に声を掛けられる。謎の男は一体誰なのだろうか。
「舟の街」は幻想的な作品だ。あなたは34歳で失恋した。そして、この世でない舟の街に行こうと決めた。そこでの体験記は不思議なものであったが、そこから戻ってあなたはどう変わったのか。納得の作品。
「ある風船の落下」は、発想は奇想天外であるも、こんなことが起こるやもしれないと思わせる妙なリアリティーを感じさせる作品である。これはもっぱら、人間個人の心と、相手との関係性の問題に踏み込んだ作品であり、作者の強い思いが物語に反映されていて、引き込まれる。
作品を読みながら思ったこと
他の作品にもあるのだが、最後の段落が理解できないことがよくある。「空を待つ」では最後「私は、誰だったのか。」で終わる。「あっちゃん」が誰だったのではなく、自分が何者なのか忘れてしまったと書いて終わっている。角川文庫ではピース又吉が解説している。「物語内の設定と、言葉の本来の意味が一致している。」と言った上で、「西加奈子という作家の創造性は破格なのである。」と書いて締めている。私は「破格な創造力」に着いていけていない。
「トロフィーワイフ」のストーリーは淡々と進む。ばーさん(ひさ江)は自分の人生のないものねだりを孫に語る。旦那さんに悪態つく生活や、たくさんの男の子を手玉にとってキスをしたかったと言う。それは、ばーさんにとって、「生きている」ということ。自分は、孫の年にはすでに死んでいた気がすると述懐する。
ところが、改行の後最後の行で、突然「それでも、二階のベッドにある死体は、いつまでも、薔薇色の頬をしている。いつまでも。」と書かれている。
「あれ、もしかしてばーさんは死んでいたのか」と、私はプロットを完全に取り違えていたのかと焦る。それで遡って読み直してみる。それでも、やはり分からない。
「私のお尻」も、さらっと読んでしまえばそれで終わりだが、最後のなぞかけがどうしても気になった。お尻を預けませんかと近づいてきた男は誰なのかである。これは、おそらく「お尻」自身という回答で合っているだろう。
舟の街で過ごした人は、「幾分ふにゃふにゃした顔になって戻ってくる」。主人公のあなたが失恋し、舟の街に行こうと決めたとき、「舟の街から帰ってきた友人の、幾分ふにゃふにゃとした、しかし晴れ晴れとした顔が目に浮かんだ」。そして、舟の街から戻ってきたあなたは、「少し太って、少しわがままで、そして、随分泣き虫になっていた」。「誰でもない『あなた』になった。きちんと。」こんな再生工場があればいいなと思うが、それは、単にあなたの街にある銀杏公園の日常に過ぎない。
「ある風船の落下」は、珍しく非常に分かりやすい筋書きで、作家の主張も非常に明確な作品だ。奇想天外な「風船病」という病気の設定にリアリティを感じてしまうのは、人類は常に解決不能な問題に直面するからであろう。本日現在(2021年4月)、人類は新型コロナウイルスの脅威に直面している。