文学★★
紹介文
規士は一晩経っても家に帰ってこなかった。近所で起きた高校生の殺人事件が報道され、その事件に関わっていることが分かってくる。警察の事情聴取、マスコミの執拗な攻勢。1人の遺体が発見された後、行方不明の規士は加害者のように扱われる。家族はどんどん追い詰められていく。
きっかけ、紹介文より詳しく-引用あり
この作家(雫井脩介氏)の、登場人物の心の内を、丹念かつ克明に表現する筆力がすごい。文庫で392ページの長編小説だが、時の経過で言うと、たった4日間で起きたことである。マスコミ、貴代美の母と姉、警察、規士(ただし)の友人たちを登場させながら、父親一登の視点、母親貴代美の想い、妹の雅(みやび)の気持ちを、延々と綴る。決して冗長にはならず、読み手を確実に引き込みながら、理路整然と説明していく。話は前後するが、きっかけは以下の通り。
子供が出版社主催のアート・コンテストで賞をもらった。賞品として、本を20冊プレゼントしてもらえることになった。親である私が子を差し置いて、最近の売れっ子作家の中から、裏表紙を読んで面白そうなもの20冊を選んだ。そのうちの1冊。(当面はこのシリーズを書いていく予定。)
映画化された本なので、送られてきた本は、全オビであった(書籍における帯についての詳細は、リンクをクリック)。その裏に、一登役の堤真一の言葉が載っている。「家族を守るとは、こんなにも難しく、愛おしいことなのか」と。この言葉は、この小説が我々に投げかける問いかけを、短い言葉で上手く言い当てている。
この小説の冒頭は、種村夫妻が建築家の石川一登に家の相談をするところから始まる。妻が夢を膨らませていろんな注文をつける、それを夫が制しながら、一登に意見を求める。それに対する一登の回答は非常にシンプルだが、ちょっと哲学的である。
「家づくりの上で、何よりも優先して盛り込まなければならないのは、そこに住む人たちの生き方であったり、家族の形であったりということなんです」
『望み』 雫井脩介 角川文庫 P8
この時点で、私は主人公は種村夫妻だと思っていた。一登は単に新築の設計を担当する建築家に過ぎないと。建築家のうんちくは続く。
「家づくりに当たって何より重要なのは、ご夫妻なりご家族なりがどんな生活をしているか、そして、これからどんな人生を送ろうとしているのかということなんです。注文住宅というのは、言ってみれば、家が家族の形そのものになるんですね。その家を見れば、そこに暮らす家族それぞれのライフスタイルや趣味、性格までが分かる。建築家の作品であって、実はそうではないんです。そこに住む人たちを映している鏡のようなものです。たとえ同じ土地に同じ予算で同じ建築家が作るとしても、住む人が違えば、必然的に違う家ができる。・・・(後略)」
『望み』 雫井脩介 角川文庫 P11
ただ、本を読み終えて、この文章を書いて、改めて気づく。こういった事件と無関係の冒頭のやり取りにも、意味があるんだと。この小説には、一登自身が設計した一登の家の中の様子が、その後詳細に記述される。一登の家は、石川一家の現在および将来をどう映し出しているのだろうか。そういった視点で改めて読み直してみると、新たな発見があるかもしれない。
ちなみに、冒頭の書き方が分かりにくかったと思うので、改めて説明すると、小説の主人公は、建築家である一登の家、石川家である。貴代美は妻、規士は長男(兄)、雅は長女(妹)である。
作者の雫井脩介氏が気になって、ネット検索してみた(作者紹介のWikipediaは、リンクをクリック)。ミステリー作家という位置づけのようである。映画化された作品から、読み進めてみたいと思った。
作品を読みながら思ったこと-引用あり
この作品は、究極の問いを突き付けている。息子は加害者であって、殺人犯として服役した上で、その後の人生を生きていくという可能性。もう1つは、息子は被害者であって、実は殺されてしまってこの世にいないという可能性。
事件が解明するまでの間、家族はその両方の可能性に悩み苦しむ。
ただし、マスコミの報道や、ネットの書き込みは、その両者の可能性を平等に示唆するものではなかった。
あの記者が保証したように、一登の顔そのものは映っていなかった。代わりに映っていたのはクッキーだ。記者の問いかけから逃れようとしていた状況から考えれば仕方がないとはいえ、一登の口調はおざなりの色合いが強く、おそらく何の背景も知らずに見ている普通の視聴者であれば、事件に関係している可能性が高い少年の親が、事態の深刻さにまったく向き合うことなく、呑気に犬の散歩に出かけようとしている姿だと捉えたことだろう。
『望み』 雫井脩介 角川文庫 P204-205
高校生の遺体が発見され、目撃された犯人の2人が逃走中というニュースがテレビに出たのが、夜の9時。翌日の朝に警察が自宅に来て事情聴取。その直後にジャーナリストが、石川家に取材に来ている。その日の午後からは新聞社が立て続けに取材に来る。警察は決して情報を漏らしていないはずだから、こんなに早いタイミングで規士が事件に関与していると当たりをつけられるのはなぜだろうか。
まず、私はこの点に非常に関心を持つとともに、恐ろしさを感じた。
インターネット社会において流通するありとあらゆる情報をつないで、一定の線を絞り出していくことは、比較的容易なのだろう。当事者にとっては、たまったものではない。狙い撃ちされたら、もうプライベートなど何もない。
マスコミが偏向報道をしたかどうかはともかく、何もまだわかっていない父親としては、そもそもインタビューを受けたくないし、マイクを向けられても何も答えたくない。その気持ちは痛いほどわかるが、世間の捉え方は作者の分析通りであろう。
この報道を、施工会社の社長が見ていた。
「何言ってんだ。向こうは死んじまってるんだよ。取り返しがつかないことなんだ。向こうの立場になってかみなよ。どう関わってるかなんて問題じゃない。そんなの関係ねえよ」
『望み』 雫井脩介 角川文庫 P230-231
「いや、違うんです。」一登は言った。「私が言いたいのはそういうことじゃなくて、うちの息子はまだ、事件の加害者かどうかも分かってないってことです」
「え……?」高山は眉をひとめて一登を見る。
「もしかしたら、うちの子だって被害者なのかもしれない……何も分かってないんです」
(中略)
「先生、その理屈はちょっと無理があるんじゃないか。息子さんも被害者なら、どうしてまだ見つかってないんだって話だよ」
(中略)
「難しいな。難しい」高山は独り言のように言った。「先生、それはね、はたからすれば、何も分かってないことを逆手にとっての、当座の逃げ口上に聞こえるよ」
少し補足すると、今回の事件で殺害された被害者が、高山が30年懇意にしている花塚塗装の外孫だったのだ。高山社長は昔気質の親分肌だ。彼の発言自体、おかしなところはない。でもそれは、完全にマスコミとその周辺情報によって結論づけられてしまっているものだ。
自分が最も頼りにし、いい関係を築いていた最重要の施工会社の社長から、このような言葉を吐かれたときのショックは計り知れないだろう。
自分だったら、心がきゅっと締め上げられ、息子が加害者でないことを信じながらも、高山社長に対して、「世間がそのように思うのは、当然ですね。余計なことをいいました」ぐらいのことを付け足してしまった気がする。言った後に、自己嫌悪に陥るだろう。自分のことではなく、子供のことで、仕事仲間から責められるのは、本当に耐え難い。
こんな調子で思ったことを書いていくと、かなり長くなりそうだ。
それでも、もう一つ書きたいことがある。
「可能性が高いんじゃなくて、そのほうがいいって思ってるだけでしょ」
『望み』 雫井脩介 角川文庫 P248-249
不意に、静かに義母の浄霊を受けていた貴代美から、冷ややかな声が飛んできた。
「息子の無実を信じるのが、そんなに悪いことなのか?」
一登は何とか感情を抑えて、そう言い返した。
「あなたは、世間体第一で考えてるのよ」
(中略)
「世間体って言うけど、じゃあお前は、加害者の家にどんな風当たりがあるかちゃんと分かった上で言ってるんだろうな」一登は言う。「今朝だって、うちの玄関に生卵が投げるられてたんだ。規士が犯人だってことになったら、これがどうなるかって話だよ。雅にだってどんな危害が及ぶか分かりゃしない。責任を取るだの何だのってだけの話じゃないんだ。
それに、被害者は花塚塗装の社長の外孫なんだぞ。さっき、高山建築の社長に会って、はっきり言われたよ。お宅の息子が犯人なら、今後、仕事の付き合いはできなくなるってな。高山建築が引いたら、ほかの業者だって相手にしなくなる。いろんな噂が回って、クライアントだっていなくなるかもしれない。そういうのを全部分かって、言っているのかってことだよ」
「分かってるわよ」貴代美は問題ではないとばかりに言い返してきた。
(中略)
「か、簡単に言うな……」
独立から二十年かけて築き上げてきたキャリア、そしてそのフラッグシップとも言えるこの家をあっさり捨てて、一からやり直せばいいと言い放てる神経が理解できなかった。
「一からやり直すことが、どういうことか分かってんのか?」
「食べていければいいのよ。ただ、食べていければ、それでいいの」
「仕事がなくなりゃ、食べることすらできなくなるんだ」
「私も仕事してるんだから、食べることくらいできるわよ」
長い引用になったが、このやり取りにすべてが凝縮されている。ちなみにこの夫婦は、普段決してこのような、言い合いはしない。しかも、貴代美の母と姉のいる前でのやり取りだから、ガチンコそのものだ。
ここで、私はいざというときの女性の芯の強さを感じた。建築設計に携わる父一登は、理と知、そして正義と信条を通じて、子供を信じる。フリーの校正者である母貴代美は、情と愛、そして慈悲と受容の心を通じて、子供の無事を祈る。作者は男性だが、ここを鋭く対立させることで、無限の愛を示す母親の強さを際立たせ、そこに光を与えているように思う。
一登は「自分なりの正論」を主張している。そして、それは一貫している。世間の目、仕事、そして何より息子に対する父親としての信頼に根差している。何らおかしくない。にも係わらず、加害者であっても構わないから、とにかく生きていてほしい。いや、加害者として生きて延びていてほしいと強く願っている母親の方が、はるかに強くたくましくゆるぎないのである。
これは価値観の違いといった、薄っぺらい話ではとても片づけることができない、深いテーマだ。
さて、自分はこんな事件に直面してしまったらどう思うのか。やはり、何はともあれ、子供に生き延びていてほしいと思う。生き延びるイコール殺人者だとしても、それを望むだろう。そう思うのは、今の自分だ。5年前そう思ったかどうかは分からない。今は、既存の仕事がなくなっても、過去のキャリアが全部無駄になっても、生きていくことはできるという確信があるので、その憂慮は全部すっ飛ばして、とにかく自分の子供には、生きていてほしいと思うだろう。
ただ、そう書いて思うのは、この思考は母親貴代美の思考とはちょっと違うということ。母親には私が考えた前置きがない。だから、5年前だろうが、10年前だろうが、そもそも、一つのゆるぎない答えしか、持ち合わせていないだろう。
そんなことを考えた。
物語は、妹の雅の気持ちも絡みながら、最後に向かっていく。
結末は、是非本書を読んで、確認してほしい。
最後に、再びフリージャーナリストが登場する。ジャーナリストが発する考えが興味深い。それについて、自分の考えはどうなのか、思いをめぐらすのも、本書の楽しみ方の一つだと思う。