【本】『宇宙のみなしご』 森絵都 角川文庫 2010年初版発行

ぎばーブック~ギバー(Giver)からの「本」の紹介

文学★★

紹介文

姉の陽子と弟のリンは仲良しの年後の兄弟。いつも二人で新しい遊びを楽しんでいた。ある日陽子が屋根に登って夜空を見ることを思いつく。その遊びに大人しい女子七瀬とクラスメートに馬鹿にされているキオスクが加わる。ところがその日を境にキオスクは学校に来なくなる。

きっかけ、紹介文より詳しく

子供が出版社主催のアート・コンテストで賞をもらった。賞品として、本を20冊プレゼントしてもらえることになった。親である私が子を差し置いて、最近の売れっ子作家の中から、裏表紙を読んで面白そうなもの20冊を選んだ。そのうちの1冊。(当面はこのシリーズを書いていく予定。)

森絵都初挑戦。自然な話の流れの中にも意外な要素を織り込み、各登場人物の個性が物語にリズムを与えている。また粋なタイトルのつけ方に、後からはらっとさせられる。

七瀬さんは『若草物語』と名づけられているおとなしい4人グループの一人で、さしずめベス役と紹介される。『若草物語』は、中学生の頃には読んだことのある作品だが、時代背景も4人姉妹の物語であることも、ましてやメグ、ジョー、ベス、エイミーといった名前など何も覚えていない。(『若草物語』についてはリンクを参照。)ただ、Wikipediaを読んでいくと、4編もある大長編なので、おそらく私が読んだのは第1編だけだと思う。

さて、この本の重要人物は、キオスクだ。誰もがイライラするキャラとして描かれている。怪しいネットワーク集会にはまっていて、陽子をしつこく誘う。そう、キオスクは陽子を自分の同士だと信じ込んでいるのだ。ちなみに、陽子もキオスクも七瀬さんも中学校2年生のクラスメートである。

当時の自分を振り返ってみるに、そのような怪しいものに参加しているクラスメートはいなかったと思う。インターネットがなかったから当然ともいえるが、大学生以降、新興宗教の勧誘はよく受けた。一口に新興宗教といっても、創価学会のような信者が800万世帯を越える巨大な宗教団体から、オカルト的なものまでさまざまあるが、私はあらゆるものから勧誘を受けた。

一見宗教から無関係に見える無派閥の陽子が、キオスクに目をつけられるのが面白く、親近感を感じる。

本の前半に、中2の夏休みが終わったら担任が変わったという話が出てくる。先生になりたての若い前の担任は、学校という枠には適合できないカッとんでいる女の先生であったが、難病のため長期の休養に入ってしまったのだ。その富塚先生が好きだった彼女は電話をすると、「インドに行くの」という返事。このやり取りが最後に効いてくる。

本日、散歩でたまたま子供が通った小学校の前を通った。数年間かけての大工事の最中で、もはや当時の面影は何もなかった。その後自分の卒業した中学校の前も通った。この中学校も10年近く前に、屋上にプールがあるという近代的な校舎に変わってしまった。
それから、中学の同級生の家が経営する喫茶店に入ってみた。外観は自分が中学生の頃から何一つ変わっておらず、営業している風には見えないたたずまいのため、今まで入ったことがなかった。今日はこの本を読んだ流れで、勇気をもって中に入ってみた。

あれから40年近い月日が流れて、当時の自分が、何に思い悩み、またどんなことを考えていたのかを、リアルによみがえらせることはできない。それでも、自分の心の中にある昔の風景は、あの喫茶店同様、いつでもアクセス可能なようにも思える。

この小説は、いろんなことを自分に思い出させてくれ、気づかせてくれた。この年で読んで、楽しめる本だと思う。

「宇宙のみなしご 森絵都 角川文庫」カバー写真

作品を読みながら思ったこと-引用あり

随所にこの科白をメモしておきたいというところがある。

 不登校をしていて一番こまるのは、わたしに不登校する理由がない、ということだった。全然、ない。刑事ドラマ風にいえば動機がたりないし、スポ根ドラマ風にいえば血と涙がたりない。(P10)

 真夜中に、なんの意味もなく、人んちの屋根にのぼっているのである。
 謝るくらいじゃすまないだろうし、泣いてもしょうがない。かといって開きなおるのもどうかと思う。
 一番こまるのは、「なぜこんなことをしたのか?」と聞かれること。
 大人はすぐに理由を聞く。それがフェアな態度ってものだと思っている。
 でも残念ながら大抵のことに理由はない。
(P30)

『宇宙のみなしご』 森絵都 角川文庫

大人はすぐに他人の言動に関して何故かと聞く。特に問題が発生した場合、必ず「なぜ」と聞いて原因を追究する。それが子供にとってストレス以外の何物でもないとすると、原因を究明するのが当たり前の大人社会というのは、もしかしたら人間本来の生活を阻害している、窮屈で生きにくい世界なのではないだろうか。

同じ流れで、子供が持つ素晴らしい感性、大人社会でどんどん失われていく大事な心の燃料について、著者は次のように記している。

 なにかにときめいて、わくわくして、でもそれを我慢したらつぎからは、そのわくわくが少し減ってしまう気がしていた。
 なにかしようと足踏みをする、わたしの中の千人の小人たちが八百人に減ってしまう。二回我慢したら六百人に。三回我慢したら四百人に。
 そうして最後にわたしのちっぽけな体だけが残される。

 『宇宙のみなしご』 森絵都 角川文庫 P58

家族の中で、大人社会を代表しているのが、父親と母親である。我が家では、妻は、子供のわくわくを減じてしまうようなことは言わないから、その罪を犯しているのは自分である。過去30年サラリーマン生活を送って来たので、致し方ないとは思いつつ、これを機に切に反省したい。

物語には、ママの親友のさおりさんが登場する。さおりさんが、学校の思い出を語る。保健室のベッドで熟睡すると、授業後に友達が迎えにくるという回想だ。それを受けて、陽子は以下のように思うのである。

 わたしは思いだしていた。不登校をしていたあの二週間、わたしにはなんのなやみもなかったけれど、それでも友達が心配して訪ねてきてくれるとうれしかった。用もなくかかってくる電話がうれしかった。みんなで手分けして写してくれた授業のノートがうれしかった担任がいきなり迎えにきたときでさえ、心のどこかでちょっとだけ、うれしかったかもしれない。

『宇宙のみなしご』 森絵都 角川文庫 P134

こう言ってから、陽子は自殺未遂をしたと言われているキオスクに会いに行くことを決める。

最後の見せ場は、陽子がキオスクに会いに家まで行くところだが、そのやり取りについては、ここでつまびらかにしない。そこまでネタバレするのはあまりに野暮な気がするから。ただ、一つだけ言っておきたいことは、陽子は決意してキオスクに会いに行くのだから、そこで彼に何を話すのかは用意周到に考えていたはずだ。

キオスクに単調直入に切り出して、辛辣な言葉を吐いて、相手を怒らせて、本音を引っ張り出した。この芸当はとても中学生とは思えない。ここは、物語の最大の山場だから、大人の著者が陽子に入り込んだかもしれない。そこがまた面白かった。

最後にキオスクの口からでる富塚先生の登場が感動的で、ここは是非とも引用しておきたい。

「富塚先生、学校やめる前にぼくんちに来たんだよ。二年C組のみんなはだいじょうぶだろうけど、ぼくのことだけは心配だって。ぼくんちに来て、言ったんだ。大人も子供もだれだって、一番しんどいときは、ひとりで切りぬけるしかないんだ、って
 七瀬さんがさしだした花柄のハンカチで、キオスクが顔中をこすりながら言った。
ぼくたちはみんな宇宙のみなしごだから、ばらばらに生まれてばらばらに死んでいくみなしごだから。自分の力できらきら輝いてないと、宇宙の暗闇にのみこまれて消えちゃうんだよ、って」(P173-174)

「でもさ」
 と、涙と鼻水だらけの顔でキオスクは続けた。
でも、ひとりでやってかなきゃならないからこそ、ときどき手をつなぎあえる友達を見つけなさいって、富塚先生、そう言ったんだ。手をつないで、心の休憩ができる友達が必要なんだよ、って」(P175)

『宇宙のみなしご』 森絵都 角川文庫

先生のアドバイス、奥が深く、考えさせられる。「一番しんどいとき」というのは、自分の心が作り出している問題だから、乗り越えられるのは、自分自身しかいない。どんなに信頼できる親友や、あるいは肉親が寄り添ってくれても、解決はできないよと言っているのだろうか。

ちょっと違う気がする。人間は一人ひとり、個性を持ったかけがえのない存在。だから、誰からも侵されないし、否定されない。でもそれは、逆に言えば、自分はこの世にひとりしか存在しない孤高の存在であるということ

それを分かった上で、支え合える友達を見つけることが大事と言っているような気がする。

中学校の先生って本当に素晴らしい。心からリスペクトします。

created by Rinker
KADOKAWA
¥484 (2025/01/24 22:33:50時点 Amazon調べ-詳細)
タイトルとURLをコピーしました