ゴッドハンド
今日は祝日のため、午前中、家族4人に時間があった。そこではじめて例のゴッドハンド(「2021/8/17 ゴッドハンド」は、リンクをクリック。)に家族4人で行った。
行き返りの電車の中で、ぼそぼそと子供と話ができた。何を話したか忘れてしまうほど、普通のことだが、こういった時間を持てていることが、私の人生の中では極めて珍しいことだ。今在る自分に感謝したい。
本日、カイロプラクティックの先生に、長女が「足を捻挫したことがありますか」と聞いてきた。ないので娘は素直に「ありません」と答えた。「そうですか。足をひねった跡が残っているんだけど」という。
帰りがけに、エレベーターを降りたところで、このやり取りを娘に聞くと、「捻挫をしたことは1mmもありません」という。「バレエを長らくやってその歩き方に慣れているから、骨の形が変わったのかしら」と妻がいう。「でも、見えているみたいだからなあ」と私がいう。
「透視でそう見えているみたいだけど」ともう少し踏み込んでみると、最初透視の意味が分からなかったようだ。その後適当にあしらわれたが、嫌悪感を示したり、馬鹿にした表情は浮かべなかった。
何となくいい感じに思った。長女は瞑想も好きでないというし、私のあぶない発言にはついてこないが、それらを頭から否定して、私と戦うために、私の娘になったわけではなさそうだ。
ATMで多額なお金を引き出して、家に戻り、住民税の督促状を持って事務所に向かった。前日に住まいの市町村から、真っ赤な郵便物が届いていた。嫌な予感がして中身を見たら、税金を滞納しているという。
昨年まで特別徴収で毎月の給与から天引きされていた住民税だ。8月末に2回目の期限を迎えていた。Googleカレンダーに期限を書いておかなかったおかげでやらかしてしまったようだ。
さて、銀行に向かうと、ATMしか開いていない。コロナで店舗が開いていないのかといぶかったが、すぐに祝日であることに気づいた。だから、ATMの手数料もしっかり取られていたことになる。何をやっているのか。とくかく普段持ち歩くような金額ではないので、それがいやだった。
8月は1日を除いて皆勤賞だったジムも、左足股関節が痛いので、足回りはやらないし、ウェートを上げていくことを控えている。なので、何となくモチベーションが上がらない。不思議なもので、回数を増やす、重さを増やすといった数値で、目に見える形で負荷をかけていくことで、継続化が容易になる。肉体が改造されているが確認できれば、より高いモチベーションが発揮され、継続を後押しする。
継続は力なり
私は長年「継続は力なり」という言葉が大好きで、そのように信じ込んできた。「継続は力なり教」の熱心な信者である。ただ、「しなければならない」という義務感、それも、ちょっとでも止めてしまったら昨日までの努力が無駄になる、あるいは、もうやらなくなってしまうだろうという恐怖感が常について回っていて、その力が後押しして自分の頭を鼓舞している。
なので、続くには続くのだが、2年~3年でやめてしまうことが圧倒的に多い。それも、それまではほぼ皆勤でやっていて、それが止まったら一気に止めてしまう。こういう傾向が多い。過去通っていた英語学校も、以前ゴールドジムに通っていたときのジムも、止めたらきれいさっぱり続かなくなった。
努力する自分は好きだし、そのおかげでいろいろ学べたことも多いのだが、このループからちょっと抜け出して、もっと自然にもっと必然的に手が動いてしまう何かに没頭したい。そう、自然にやっているという状態がいいなと思う。