2021/7/15 目の前の人に感謝する

標題は、普通の言い方をちょっとアレンジしている。通常は、「今起きていることに感謝する」ということが多いと思う、そしてちょっと言い古されている言葉であるとも思う。

1)それは難しいな、少なくともすべてに感謝するということは考えにくい。2)まあ、そうだよね。3)そんなのは前から分かっているよ。だいたいこの3つぐらいの反応に分かれるのではないかと思う。

恥ずかしながら私は、3)に属するタイプの人間であった。そして今、本当に分かっていなかったことを知りつつある。

人に感謝するというのは、昔から学校の道徳の授業でも、クラブ活動でも、社会人になってからでも方々で言われてきた。しかしながら、感謝を態度や言葉で示さなかったりすることはよくある。そして後で気づいて反省することは多い。

先週の土曜日にチベット密教の講座を聞いて、そのご縁で何人かとお話しする機会を得て、まずは講座で言われていることを素直に実践しよう、まずはそれからだと思った。

いわゆる念仏を唱えるのと同じく、密教では真言(マントラ)を唱える。我が家は真言宗なのだから、私が毎日真言を唱えても、何らおかしなことはない。

大学に入ってすぐ、父方の祖父が亡くなった。初七日、四十九日、一周忌、三回忌の法要のため、お寺に行った。親族がお寺の本堂に通されて、お坊さんが読経し、我々はお焼香をする。そのとき、本堂の正面右に、まったく意味不明なひらがなが半紙に書かれて貼られていた。

住職が解説をする。「これは光明真言という非常に尊い真言なので、皆様一緒に唱えてください。」
このやり取りが、四十九日、一周忌、三回忌と続いたと思う。
私は非常に短い言葉なので、すぐに覚えてしまった。そして、家で自慢げ発声したこともある。「なんでそんな言葉覚えてるの」と妹に言われた記憶がある。私にとって真言は、若い時から身近なものだった。

なお、光明真言とは別に教わったマントラの一つがあって、ネットで調べてみると、「人間関係が劇的に改善する、効果抜群」と例外なく書かれている。「そんなにすごいの?」「本当にそうならば、隠れてこそこそやるでしょう」と思い、まずはそれから素直に実践し始めている。

ネットの書きようは、それこそすぐに効果があると言うから、唱えながら何かいいことが起きないかと期待していると、それがなかなか起きない。
なんで自分には起きないのだろう。

そんな風に思ったあと、昨晩ふと気づいた。「起きているのに見過ごしているだけだ」と。

7/14(昨日)の出来事を書く。
〇突然前の会社の同僚からゴルフの誘いが来た
〇突然前の会社の同僚から、「だれだれさんと会う約束だったのですが、緊急事態宣言で出張が取りやめになったので、Zoomに切り替わりました。その際、私も誘いませんかという話になったのですが、日曜日の都合はどうですか」とLINEが入った。
〇男声合唱団のゴルフコンペで空きができたようで、幹事から突然私に「ゴルフやりますか」と聞いてきた。そしてその日は空いていたので参加することになった。

今までの私は、このような突然のお誘いが来ても、それを普通に受け止めてきた。たまたまが重なったぐらいに思っていた。誘われてうれしい気持ちは当然にあるが、「そのご縁に感謝する」という感覚が乏しかった。だから、「有難い」という気持ちが水漏れだったのである

そう考えていくと、ありとあらゆることの見え方が変わっていく。ドン・キホーテでMajica払いをしようと思ったら、「ポイントの期限が迫っているので、まずはポイントからお使い下さい」とわざわざ店員に言われるとか、自分ではとても入手できない情報を友人が転送してくるとか、2021/7/12のトーク番組で書いた、ビリギャルこと小林さやかさんの講演会を手伝っている友人から、「さやかちゃんからサインもらいますよ。お子さんのお名前教えてください」とスペシャルな厚意をいただくとか。

十分すごいと思う。なんで何も起きないなんて言えるのだろうか。3)に属するタイプの人間だと思いながらも、実際には分かっていなかったのである。

もちろん、毎日一分一秒いいことばかりが起こるわけではないだろう。でも、少なくともいいことが起きたら、そのことに感謝しよう。これは、なかなか大きな発見だと思う。

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