2021/6/27 あやうく資格試験にはまるところだった

ぎばーノート~ギバー(Giver)という生き方の記録

2021/6/23 授業参加を見て思うこと」に、自分が学校の先生だったらこうするということを書いたが、26日の夜、ふと、こんなことを考えた。何とかして学校の先生になれないかと。

世界史の教師になりたい

どうやって学校の先生に潜り込むことができるのか。これは、きわめて難しい問題だ。自分は教職の資格を持っていない。かつて、通信教育等で教員免許資格を得てから、試験を受けるということを、ちらっと考えたこともあるが、何か違うなと思ってやめてしまった。

教員の資格はなくても私立なら受け入れてもらえるのではないか。これ、何の根拠もない。あるとすればリクルート出身の藤原和博さんが杉並区和田中学校の校長になったくらいである。ただ、彼は自治体の教育委員会の教育改革担当を経て、校長になった訳だから、実際の教科を教える教員とはかなり違う。

さて、教員になるとしたら何の科目を教えたいのか、教えられるのか。そんな妄想が広がる。中高一貫校であれば、自分がやりたい、そしてできると思えるのは社会科である。高校であれば世界史に特化すればいい。

歴史能力検定

自分にその能力があるかどうかを、校長が客観的に測定するには、何かしらの証明が必要だ。そう考えて、ネット検索して「歴史能力検定」という存在を探し出した。この1級に挑戦してみよう。

ところが、この検定試験、書き込みがあまりよろしくない。
あるサイトに、難易度は「やや易しい」、合格率は5割超、学習期間も2ヶ月程度とある。それは、逆に言えばtちょっとがんばれば受かる簡単な試験ということではないか。
このデータに続いて、かくの如く言う。「あくまでも、趣味・教養の延長にある検定試験です。ボケ防止にも良いかもしれません。」と。これはまことに手厳しい。
「歴史能力検定は趣味や歴史が好きという人が受験をしている人が多く、国家試験ではないため趣味と考えて受けることをおすすめします。資格を持っているからといって、何らかの職につけるというわけではありませんが、観光案内所や史跡の案内ボランティアになるときは役立てることができるでしょう。」

ちょっとこの資格をとったからと言って、校長先生にお許しをもらうのは無理かと思う。

全国通訳案内士

さて、歴史能力検定の調べている中で、「全国通訳案内士」という資格の存在に気が付いた。そういえば、この資格、前の会社の同僚が持っていたなと思い、調べ始める。「歴史能力検定」と違って、国家資格であり、合格率も10%と無茶苦茶難しい。ただ、この資格は、社会科の先生になりたいという動機に、ピタッとマッチしない。
「日本を訪れる外国人の観光客に対して、日本の観光地を案内したり、旅行中のサポートをする」ための資格だからである。日本史や日本地理との親和性はかなり高いが、世界史や世界地理との関係はかなり希薄となる。

一方で、想定外のメリットに気づき、やる気をかき立てられた。それは、当然ながら「通訳」としての語学の試験があることだ。別に語学の試験を受けたいのではない。今英語を勉強している目的として、この資格を一里塚にするのは、TOEICよりはゴールイメージが湧きやすい。

今、隔日で英語の授業を受けている中で、日本のどこどこに行ってきたとか、日本の歴史上の人物を説明するとか、日本人の文化や気質を解説するとか、こんなことを語る機会が多い。実際に、「しっかり話したい」という自分の中の気持ちが強くある。もしかしたらこれ、自分のニーズに合っているかもしれない。

そんな思いを抱きながら、翌日に本屋に行って、「歴史能力検定」試験も含めて過去問や参考書を見に行こうと決めた。

さて、27日。意気揚々と神保町の三省堂に向かった。ここで過去問をめくると、ピンポイントで下記の問題のページを開いた。これには私自身、本当にぶったまげてしまった。

私は、2021年の5月21日から23日、高野山に行ってきた。そして、まさに遍照光院という宿坊に泊ったのである。この偶然に、とにかくびっくりした。

加えて問題を読むと、「『護摩祈祷』を毎朝体験することができる宿坊はどこか」、「ナイトツアーを独自に実施している宿坊はどこか」とある。
ちょっと待って。そもそも「護摩祈祷」は、真言宗という日本の数ある仏教の中の1つの宗派の中でしか行われない儀式である。それが「通訳案内士」の試験の、しかも「一般常識の問題」として出題されている。それだけではない。聞かれている質問は、「護摩祈祷とは何か」ではなく、「『護摩祈祷』を毎朝体験することができる宿坊はどこか」である。また、ナイトツアーについては、私が感じたことを重ねて書く必要はないであろう。

おそらく、25年前の自分で合ったら、「『通訳案内士』になるには、ここまで深いレベルで、日本文化に対する造詣を深めなければいけないのか」と小躍りして、やる気を見せたであろう。また、1995年頃であれば、その知識が、自分自身の血となり肉となって、人のお役に立てたと思う。(まだまだワープロが主流の時代であったのだから。)

ただ、正直今は違う。この問題をみて、自分はまた、完全にインプットの罠にはまろうとしていたことを自覚した。ここにエネルギーと精力を費やす時間は、自分にはもうない。
また、これだけインターネットが普及してしまった時代である。観光客は自分でググれば、答えを見つけることができるのである。

ということで、2日間にわたる自分の妄想がもたらした、私の方法論の仮説は完全に崩壊した。もっと他の方法で、中学高校に潜り込む方法を考えることとしよう(笑)。

なお、最後に誤解のないように触れておきたい。「通訳案内士」という試験をディスっているつもりはかけらもない。むしろ、このレベルまで深く掘り下げた知識を問うてくるテストに畏敬の念を抱く。
また、試験は100点を取る必要はないので、ここだけ切り取って議論するのは、フェアではない。おそらくこれは捨て問題であろう。

最後に、この資格を持っている前職の同僚のすごさを知ることができたことに感謝したい。ちなみに彼が選択した言語は「英語」ではなく「中国語」だ。この世界に移っても、十分に食っていけるであろう。

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