2021/9/3 舞台裏の葛藤

ぎばーノート~ギバー(Giver)という生き方の記録

サントリーホールでのコンサートの話を書いたが、当日、私は葛藤と戦っていた。

合唱団のメンバーは皆、明るくて気さくである。人付き合いにおいてストレスに感じることはほとんどない。

しかし、私は元来のおとなしい性格、いや正確に言えば、自分から積極的に話しかけない習性から、控室で一人でいることが多かった。6月に入ってはや3ヶ月が経過している訳なので、メンバーとは何度も顔を合わせている。話しかければ普通に話に応じてくれる大人ばかりだ。にもかかわらず、一人でぼーっとしていることが多かった。

私はこの自分の習性を、昔からずっと好きではなかった。でしゃばらない、控えめであると言えば聞こえがいいが、誰かに放しかけられるのを待っているような、ちょっとしたええかっこしいのところがある。

話しかけるということは、パワーを必要とすることだと思う。キャラクターにもよるが、相手にどんな話題を振ろうか考える必要があるし、相手の反応が芳しくない場合は、へこむこともあろう。

私のこの習性は、この遠慮は、面倒くさい気持ちから来るのか、相手の反応に傷つくのが怖いからなのか、一体どこから来るのであろうか。

それが心地よいのであれば、何も問題ないかもしれない。そうではないのだ。他の人が話しているのをうらやましく思っている自分がある。自分はどうやってその輪に入れるのか考えながら、隣でぼーっとしていることもある。

ゲネプロが終わって、意外にも練習がなくなったので、本番まで2時間近く時間ができた。気が付いたら他の人がどんどんいなくなっていた。私は幸い、他のパートの人がスターバックスに行く流れに乗っかり、一緒についていった。

そのメンバーは、実は二手に分かれたので、私は、元超大手企業の最高幹部の方に着いて、アークヒルズの最上階のクラブに行った。

そこでも、本来であれば、しっかり自己紹介をして、「よろしくお願いします」の一言を言うべきであった。ところが、流れについていくだけで、なんとなく時を過ごしてしまった。相手は皆人格者なので、何も言わないが、よく知らない人が付いてきて少し当惑したと思う。

自分で居心地の悪さがよく分かるから、外向きに自分を作って、話を合わせるのが精いっぱいだった。折角心から楽しめる時間をいただいたのに、台無しにしてしまった。

さらに追い打ちをかけたのが、ご馳走様の挨拶である。クラブに顔パスで入れていただいた方にご馳走になったのだが、「ご馳走様」を面と向かって言えなかった。他の人に合わせて自分も頭を下げたが、果たして本当にご本人が気づかれたかどうか分からない。

このようなことは過去何度も経験している。かつて、この自分の消極性を、嘆きそして自己嫌悪に陥った。
今なお、同じことを続けているのは、もったいない。そのような思考から、心地よい感覚は生み出されないし、  損が多く得るものが少ないと思う。

そうでありたくないと思ったら、そうであるのをやめる。それに尽きる。まず、次回お会いしたときに前回はご馳走様でしたと、しっかり気持ちを伝える。そして、次回は人と積極的に話す。そこをブレークスルーすることで、何がブロックになっていたのか、分かるかもしれない。そして新しい何かが生まれることだろう。

何かしらの感傷に浸るのも悪くないが、そのような時間の過ごし方はもったいないと思うようになった。
かつてかなり心酔した太宰治に共感しにくくなった(全集を読む気になれなかった)のも、そんな自己を傷つけ卑下するような生き方を選択したくないと感じるようになったからであろう。そんなことを長い時間をかけて学んできた。(太宰治がダメだという話をしているのではない。)

今の自分を大事にしたい。自己保身するのではなく、思ったことを実行に移す行動的な自分を応援したいと思う。