2021/8/24 カープのレジェンド-前田智徳

ぎばーノート~ギバー(Giver)という生き方の記録

本日、満を持して「Native Camp」に新規登録した。1週間はお試し期間があるので無料だ。この話は、「ぎばーコネクト」に譲る。

午後、YouTubeを見ていたら、前田智徳が結構たくさんのチャンネルで話していることに気づいた。そして、集中して「背番号5【テレビ朝日@5ch スポーツ公式】」を見た。「前田智徳の野球の話をするんじゃ!」特集が、本日現在で第31弾もアップされているからだ。

読者の中で、日本のプロ野球に詳しくない人、あるいは興味がない人もいると思うが、ちょっと前田智徳選手を紹介させてほしい。Wikipediaの「前田智徳」は何度も読んでいるが、何度読んでも泣ける。実際に目頭が熱くなる。「評価」と「逸話」をここに全部引用したいぐらいだ。

今気づいたが、Wikipediaに太字がこんなに出てくるというのは結構珍しいのではないか。
とにかく何が悔しいって、彼がアキレス腱を断裂したのは24歳のときだということ。入団2年目でレギュラーを獲得し、3年目からは3番を任され、毎年3割を打っていた。

もしアキレス腱を断裂していなかったら、3000本安打は堅かったと思うこれは単なるファンの与太話だが、この与太話に頷いてくれるプロ野球ファンは驚くほど多い。他球団ファンの人間であっても同様である。

少し脱線するが、1993年・1994年の打線は1番野村、2番正田、3番前田、4番江藤である。なのに、なぜ1993年は最下位だったのか。94年に三村監督に代わって3位まで上がるが、三村時代の5年間も優勝はなかった。やはり95年の前田の怪我が痛い。あの年野村ヤクルトが8ゲーム差で優勝していることを、今確認したが、前田がシーズン通して働いていたら、8ゲームくらい簡単にひっくり返して優勝していたであろう。

さて、前田には求道者(あるいは球道者)という言葉がふさわしいが、最近のYouTubeでみせるお茶目なところがすごくいい。もともと、こういった性格だったのだろう。話も面白いし、相手との掛け合いが面白い。(特に裏方さんやスタッフとの。)

「ホームランを打ちたかった」という。これは意外だった。だからこそ、「自分が持っているポテンシャルのすべてを絞りだそうとして足腰が壊れた」という。なるほどそういうことなのか。

「足元にも及ばずに終わりましたが」「次元は違いますけど」「結果は全然違うんですけど」などと、とにかく自分を卑下する発言が多い。これが男、前田智徳である。Wikipediaの以下の引用は本当かと首をかしげたくなるくらいだが、そんな前田選手は私のあこがれであり、あの時代のカープの中で別格の存在だった

前田は走攻守全てに於いて常に完璧なプレーを目指すのが信条であったが、満足にプレーする事ができなくなったのが余りに不本意だったのか、1996年頃からは俺の野球人生は終わった」「前田智徳という打者はもう死にました」「プレーしているのは僕じゃなく、僕の弟です」「あれは高校生が打っていたんですなどといった発言を繰り返すようになる。

ウィキペディア(Wikipedia)>前田智徳>逸話>プロ野球選手時代

ネガティブはいけない、自分を卑下してはいけない、などのアドバイスは、すべて正しいと思うが、だからといって世の中の全員がネアカ人間になる必要はないし、時に自分にはとことん負荷をかける人間がいてもいいのではないか。

そんな前田選手も、現役を引退され、今は50歳となり、いい味が出てきた気がする。いや、多分前から変わっていないのだと思う。そういう意味では、上記引用などは、作られた一面を極端に映し出したものなんだと思う。