2021/8/22 グレートインディーズデイ アフターイベント

ぎばーノート~ギバー(Giver)という生き方の記録

本日、標記イベントがあり参加した。1つは10時~12時半のzoomオンライン「映像とアートとトークでつながる対話会(再会と出会い編)」、もう1つは14時~17時半の「ワールドシフト・ベースキャンプ#5~JUN AI/純愛 オンライン鑑賞&対話会」である。

この2つはそれぞれ分けて書くことにする。こちらでは前半のイベントについて記載する。

前回同様、前半の方は、YouTubeチャンネル「Great Indies Day グレートインディーズデイ」にアップされている。

さて、参加型であることを強調するこのイベントは、人によってはちょっと抵抗を感じるかもしれない。私も当初は、ビデオオフの「耳だけ」で参加していた。「耳だけ」は、聞くだけを希望する(発言しない)ことを意味する。zoom上の名前の後ろにそう書くことで、皆に分かる仕組みになっている。このルールを設けていることも好感が持てる。

ところが、ちょっとした勇気を出して、顔出し(ビデオオン)にして「耳だけ」をなしにすると、面白いことが起こる。知らず知らず巻き込まれるので、会議への参加姿勢が能動的になる。その結果、他人からのシェアがすごくありがたく聞こえてくるのだ。もう丁寧な言い方をすれば、こうなる。他人事で聞き流すことが減る。相手の話をしっかりと聞く。今まで以上に気づきが増える。すごくありがたく感じる。

これは、自分もシェアするから、同じ感覚・同じ目線で相手の話を聞けるのが大きいのだと思う。従来型の講演会やセミナーといったものは、どうしても一方向の発信となってしまっていた。Q&Aに参加することで、能動的な関与もできるのだが、これも上から下へのコミュニケーションになってしまう。決して講演者はそう思っている訳ではないと思う。これは、受け手側の問題だと思う。

ここでは、またしても愛がテーマであった。「100%の愛を自分にGiftする」。これは発起人リーダーの奥山さんが言った言葉である。この(自分を)愛するという感覚。今後いつの日か、心の底からそれが感じられるようになりたいが、自分にはまだまだ捉えどころのないものである。

「男性だから分からない」というのは昭和の発想だ。でも残念ながら昭和生まれの自分は、まだその縛りから完全に開放されていないようである。

「人間は怪しくない。危ういだけ。」これも奥山さんの発言だが、名言だと思った。我々は人からの影響を受ける「危うい」存在だ。奥山さんは「取り違える」という言葉を使っていた。例えば、このイベントを一つのお祭りと捉えて、多くの人が熱狂する中、何となく自分もそんな気になって、他人に分かった振りをして話してしまう。なんていうのは「危うい」のだと思う。

今回の感染症に至っては、地球をいやすための時間。自分で自分の魂と向き合う時間をとった方がいい」「自分自身の魂のよろこびにそった生き方をする。それをすることで誰かの役に立つ」とEIKOさんがおっしゃった。

とにかくこの1年半で、世の中は劇的に変わってしまった。はっきり言えることは、自分ひとりで過ごす時間が増えたということである。この貴重な時間を、自分に向き合うために取っておくことが大事だと思った。

そして、自分のよろこびにそった生き方というのは、シンプルでありながら非常に力強い言葉である。「好き」「楽しい」「楽」という話を何度か書いたが、もしかしたら、「自分がよころぶこと」に絞って問いかけた方が、自分の心も判断しやすいし、自我が選択したとしても、間違った選択となる可能性が少なくなるようにも思えた。

そして、それをすることで誰かの役に立つというのは、本当に素晴らしいことである。グレートインディーズデイの紹介ビデオで産婦人科の池川明先生が、「『私たちは何のために生まれるの?』と子供たちに聞くと、『人の役に立つため』と全員が答える。」と言っていた。このグレート・ミッションは我々の命に刻み込まれているのだと思う。そのミッションを果たすためには、「魂のよろこびに副う」という判断軸一本で行けるのであるならば、人生はもっとシンプルで美しいものになるのではないか。

そんなことを考えた。

ちなみに、愛についてもう少しヒントがほしい方は、リンクから「アフターイベント」のライブ配信アーカイブをみてほしい。EIKOさんが最後の方で、ヒントをくれている。もしかしたら、自分は西洋から輸入されてきた直接的・視聴覚的な愛情表現である「Love」になじめなくて、本来の意味を取り違えているのかもしれない、と思った。

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