ヨーロッパ的音楽観
個人的なことから記載したい。私は、純正律の音階と、平均律の音階をCDで聴いて、その違いが全く分からなかった。
この日は、男声合唱団で団長の講義があった。40名ぐらいは出席していたと思うが、多くの人が「おー違う」とか「確かに」とか、その違いに興味深々に頷いていた。
この話に入る前に、タイトルに書かれていることについて記したいと思う。
ヨーロッパでは、「甘い・美しい」音楽はダメだという。全く評価されない。先生の話でいつも出てくるのだが、ヨーロッパ人は、チャイコフスキーとラフマニノフは嫌いだという。尊敬もされない。「どの作曲家がお好きなのですか」という質問に対して、この2名を答えたら馬鹿にされるという。
これはキリスト教的な考え方、特にプロテスタントの考え方から来るらしい。食事もおいしいものは罪であると考える。音楽は美しいものには毒があるということになる。
クラシック音楽というのは、キリスト教の土台にできている音楽なのだから、まずここを押さえなければいけないという。
長調と短調
「長調と短調に隠された秘密」という先生が書かれた短い解説文をもとに説明があった。
短調が、世界じゅうの人に好まれるのには、理由がある。明快で穏やかでわかりやすい長調は、世界のどの民族が聴いても心地よい響きを持っている。それに対して短調には悲しみやメランコリーがあり、ときに人の心を揺さぶり、ときめかせる力があるのである。
「長調と短調に隠された秘密」 三枝成彰
なるほどここは納得だ。ここから先が日本人には分かりにくい。ヨーロッパ人は長調に対して光のイメージを持ち、短調に対して闇や翳りのイメージを持っていたという。中世において支配的だったのは闇であった。闇は悪魔の領域、対する光は神の領域。神が人びとにとって悪魔の誘惑からわが身を救ってくれるというのがキリスト教を信仰するようになった理由だという。
音楽もそれに基づいている。いにしえのヨーロッパ人は、音に対して「神がもたらす調和」を第一に考えたという。それは長調、短調の呼び方にも表れている。前者はメジャー・コード、後者はマイナー・コードである。「マイナー・コードは少数派であり、非正統であり、光に対する影であり、神のもたらす調和に対して、悪魔のもたらす調和の乱れであった」。先生の文章センスは素晴らしい。
話が脱線しつつ、いろいろと面白いところに転がるのだが、ここは長調・短調にしぼって書き進める。
より知的で明快で、形式を重んじる音楽が古典派。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンがここに位置する。
ベルリオーズの「幻想交響曲」がロマン派の始まりと言われるが、ここから音楽が変容していく。音楽が職業ではなく芸術に変わり(実は、音楽家を芸術家と定義したのは、ロマン派より少し早くベートーヴェンだった)、非世襲化となり、フリーランスとして、どこにも属さず書きたいものを書く。
個性が強く自由な反面、(職業ではないので定収入もなく、)作品を書くに当たり、つねに思い悩むようになり、不安がつきまとう。麻薬や酒におぼれるものもいたという。彼らが惹きつけられたのが、「それまで少数派であり、非正統であり、翳りであり、ある種の禁忌の匂いを漂わせた」短調の音楽だった。
先生が調べた「名作曲家の交響曲における長調・短調の割合」を資料として載せておく。

ちなみに、もっと楽曲を管弦楽曲や協奏曲、あるいはピアノ・バイオリンのソロなどに広げていくと、そう単純な結果がでないかもしれない。見ての通り、交響曲なのでいかんせん母数が少ない。ディスられている、チャイコフスキーとラフマニノフの短調比率が非常に高いのは、面白いなと思った。
純正律と平均律
下の画像を見ていただくと、純正律と平均律の周波数が違うことがよく分かる。平均律は周波数が同じ倍率で上がっていき、1オクターブ高いドで倍になる。一方、純正律は説明が難しい。もらった資料によれば、「純正音程をもって音階を構成する方法」と書かれているが何のことか全然分からない。「周波数の比が単純な整数比である純正音階のみを用いて規定される」ものと言えば、ちょっと分かった気がする。画像に周波数比載っている。

何でこんな純正律が存在するのか不思議に思ったが、「人間の耳は、2音の振動数が簡単な比になっているほど協和して感じ、複雑な比になっているほど不協和に感じる性質を持っている」という。
純正律は、各音階の音が、きれいな分数の周波数で並んでいるので、(一部の)和音が美しく聞こえるようだ。
ここで、一部と書いたのは、上に「音の組によっては、和音は非常に響きが悪くなる」と書かれているからである。では、どんな和音が美しいのかというと、下の3つ。ドミソ、ドファラ、シレソ。

何とこれは、ピアノで最初に習う和音ではないか!これらがいずれも4:5:6であることは全く知らなかった。
でも。
我々が弾いているピアノは、平均律ではなかったか。なので、ドミソもドファラもシレソも、本当にきれいな和音が聴こえる訳ではないということだ。
そこで冒頭に戻るが、先生は純正律の音階の和音を聴かせてくれたのである。確かに和音を、平均律と比較して聴くとわずかにだが違いが分かる。言われてみれば純正律の方が美しい。
でも、ドレミファソラシドを純正律・平均律双方で弾いたテープを聞いても、自分にはその違いがはっきりと自覚できなかったのである。その次に先生の衝撃的な一言が。
「違いが分からない人は諦めてください。そういう人もいます。これはもう仕方がありません。」
ピアノを小学校4年生で早々にやめてよかったのかもしれない。
平均律クラヴィーア曲集
これは、バロック派であり、音楽の父である、バッハの傑作である。上に書いてあるように、オクターブを12の平均的な音程に分割する平均律の登場で、転調が可能になったのだ。12の音階の長調短調あわせて24パターンを1つの曲集としてまとめ、バッハはこれを第2巻まで作った。
第1巻の第1番ハ長調は誰でも知っている曲である。グレン・グールドの世紀の名演奏で聴いてほしいので、リンクを付けておく。