朝、何となくスターバックスに立ち寄った。事務所と違う方向なので、普段そちらに足は向かないが、久々においしいコーヒーを外で飲もうと思った。スタバで、ベートーベンの『音楽ノート』を読んだ。
岩波文庫から出ている非常に薄い本で118ページしかない。それでも520円だ。自分が小学生の頃は、ヘミングウェイの『老人と海』のような超薄本は、200円を切っていた気がする。それは脇に置く。
さて、Amazonのカスタマーレビューは非常に好意的で、平均★4.5。星1と星2がない。
ベートーヴェンはたくさんの手紙を書いており、それは『新編 ベートーヴェンの手紙』という表題で別途岩波文庫から上下巻が出ている。本書の対象は、日記、ノート、スケッチ帳に書かれていたものだ。
自分の難聴になった音楽家という運命に関しては、以下のようなものが残されている。
生命といわれるすべては至高なる者の犠牲にささげられ、芸術の聖なるものとされよ!なにかに助けをかりても、われに生命をあたえよ。生命に [真の自己を] を見出すかぎりは。(L 五二)(P35)
おまえは芸術にのみ生きよ!今はおまえは [耳の] 感覚のために大きい制約を受けているが、これがおまえにとって、唯一の生きかたなのだ。(L 一〇〇)(P56)
すべて不幸というものには、秘密がいっぱいあるもので、そのままだとますます不幸が大きくなるだけだが、その不幸が知れわたるようになり、そのことを他の人と話すようになり、おそれていたことが、みんな知られてしまうと、耐えられるようになる。そして、なにか大きな不幸が解決されてしまったかのように思うものだ。(L 一四八)(P75)
『音楽ノート』 ベートーヴェン 小松雄一郎訳編 岩波文庫
耳が聴こえなくなってきた現実を誰にも言えずに苦悩した4-5年間のことを考えると、最後の言葉をそこを乗り越えたあとの若干の楽観が見てとれる。
「悲哀はすでに彼の扉をたたきつつあった。それはベートーヴェンの内部に住みかを定め、そしてもはや再び立ち退こうともしなかった。一七九六年と一八〇〇年の間に聾疾はその暴威を振いはじめた。夜も昼も耳鳴りが絶えなかった。(中略)聴覚はしだいに弱くなって行った。数年のあいだは、誰にも、最も親しい友人にも、彼はそれを打ち明けなかった。自分の致命的な病患を人に気づかれないために人々を避けて、この恐るべき秘密をひた隠しにかくしていた。しかし一八〇一年に至ってもはや隠し切れなくなった。」(『ベートーヴェンの生涯』 ロマン・ロラン 片山敏彦訳 No.268)
その他にも、俗世間に打ち勝ち、真に芸術を極めよう、真に自分の人生を歩もうとする素晴らしいメモがあるのだが、インド哲学書の書き抜きだったり、ホメロスの『オデュッセイア』、あるいはカントからの書き抜きであることが多い。
1820年2月に「会話筆記帳」に力強い筆跡で書かれた以下の記述も引用しておきたい。
芸術は長く、生命は短いというが、長いのは生命だけで、芸術は短い。芸術の息吹きが神々のところまで高められるにしても、それはわれわれにとってつかの間の恩恵にすぎないから。(T Ⅳ 一七九ページ)
『音楽ノート』 ベートーヴェン 小松雄一郎訳編 岩波文庫 P90
訳者に解説によれば、「生命は短く、芸術は長い」というのは、ローマの修辞家セネカの言葉であり、この頃のベートーヴェンは「天上を目指して怒り猛ける巨人」となって彼の芸術に精進していた時期だそうである。
さて、昨晩も深夜までブログを書いていたのだが、今日も、「ぎばーコネクト」開始にあたり、「管理人について」他、あちこちの原稿の微修正を行った。アイデアがどんどん浮かんでくるが、そのほとんどがブログに向けられている。当面、自分のやりたいようにやってくださいと思う、客観的な自分がいる。