【日経ビジネス】 2021/11/5

ぎばーノート~ギバー(Giver)という生き方の記録

原隆(日経ビジネス副編集長) 元DeNA守安氏を招へいしたタイミーの狙い

記事というよりかは、Timeeという会社またその社長である小川嶺氏に関心を持った。

冒頭に、「面接なしで働きたい人と働いてほしい事業者側をマッチングする『Timee』。」という説明があった。「面接なしに採用なんてあり得るのだろうか」という私の昭和的な発想とは逆のサービス。やはり社長は、1997年生まれであった。

まだ上場していないようだ。未上場時点のファイナンスがすごい。記事によれば、シリーズDラウンドで、主にファンドから40億円の資本調達に成功している。資本金はウェブサイト上1億円とあるので、これらの資金は優先株式といった種類のものと想像する。(IPO関連サイトなど、しっかり調べればすぐ明らかになる話だと思うが、ここは記事+αの検索でどんどん書き進める。)記事には2020年9月の調達について13億円と書かれているので、これがシリーズCだったのだろう。もう相当な資金力である。

  • (コロナで売上が大幅減となった文脈で)事業そのものをピボット(転換)するわけにはいかない。そこに投資をいただいているからだ。
  • 結果的に行き着いたのは自分たちのビジョンは何か、ミッションは何かをもう一度考えるということだった。
  • 「一人一人の時間を豊かに」をビジョンとして掲げ、「働くを通じて人生の可能性を広げるインフラをつくる」をミッションに決めた。

上記は本文から引用したものの要約

ビジョン、ミッションという話はもう私がスタートアップ・ベンチャーでお世話になった20年前から言われている話である。私のような経営をしたことのない人間からすると、頭ではわかるが本当にハートでそれを実感することは難しい。ただ、幸い会計監査という仕事に携わり、多くの企業の経営者とお話しする機会があった。そこで、上手くっている会社とそうでない会社の違いのようなものを、そばで感じながら、少なくとも成績を出している会社の「ビジョン」と「ミッション」はしっかりしているということを知った。

ここがしっかりしていると、戦略が明確となり、戦術が立てやすいということであろう。実際、記事によれば、飲食一本足だったコロナ前から、人が集めづらい業種をピックアップして、一つひとつ的確にアプローチしていった結果、商機を見いだしたマーケットとして物流市場を発見したと書かれている。

ありたい姿と、その実現のための自分の役割をはっきりさせたのだから、モチベーションが絶えることはない。であれば、そこに向けてどれほどの時間をかけても、どれほどの困難が生じようとも、心が折れる可能性は低い。逆に言えば、困難が生じた過程で、モチベーションが下がってしまうようなことがあれば、また、「ビジョン」と「ミッション」に立ちもどる必要があるのだろう。

「タイミーは人材系企業と見られがちだが、立ち位置としてはシェアリングエコノミーの領域だ。」
これは、ビジョン・ミッションからすると当然の帰結であって、ブレのない説明に関心する。

この会社に、元DeNAの守安功氏が取締役COOとして参加するというのだから、それだけで会社への期待値はさらに高まるだろう。この会社がどんな成長を遂げるのか、ちょっと楽しみにしたい。

楠木建(一橋大学大学院教授) 堤清ニ 罪と業 最後の「告白」』~消費文化の革命家とその父

堤清二という経営者兼芸術家の人となり、および功罪を非常に分かりやすくまとめている。

「本書の主題は堤清二と父・康次郎との葛藤にある。」と書かれている。確かに、私の記憶でも、西武グループの後継者に指名されたのは、異母弟の義明であり、西武ライオンズの全盛時代、いつもテレビに登場するのは、義明氏であった。

父の堤康次郎は、立志伝中の怪物で「ピストル堤」といわれた剛腕だったという。同業の小林一三のような構想や理念は横に置き、ひたすらカネと名誉を求めたと書かれている。そんな父を憎悪し、義明とも対立しながら、最期まで堤家に執着する清二の複雑な性格と人格が浮かび上がってくる作品だという。人間に対する好奇心から読んでみたくなった。

譲り受けたのは、池袋にあったボロボロの百貨店ひとつ。西武百貨店だ。渋谷に進出しパルコ事業と合わせて渋谷を若者の街に変貌。無印良品をはじめ、ロフト、J-WAVEなどいくつもの新規事業を立ち上げる。

また、辻井喬の名前で詩人、小説家としても才能をいかんなく発揮。谷崎潤一郎賞、野間文芸賞から日本芸術院賞・恩賜賞まで、ありとあらゆる賞を受賞とあるので、とんでもない天才だ。

バブル時代を過ごした人間として、彼の生きざまを知りたくなった。

安部龍太郎(作家) 玄宗皇帝 老いらくの恋

いやあ、いつまで経っても終わらない。この日は、新着記事が37件もある!

それにしても、玄宗皇帝の生涯、何も知らないに等しかった。玄宗皇帝、開元の治、安定と繁栄、ぐらいに思っていたが、実際は全然違っていた。

「中国の歴史を見ていて驚くのは、権力闘争の凄まじさである。いったん事を起こしたなら、敵を殺すか自分が殺されるまで突き進まざるを得ない。」と安部氏は書いているが、凄まじいという言葉でも足りないぐらいだ。

玄宗は皇帝になる前、皇帝だった伯父を毒殺した伯母と従姉を殺害し、父親を皇帝に立てたのち、叔母に実権を握られると叔母を殺して皇帝の地位に就く。

恐るべき権力争いの中で、実権を握った李林甫は、息子の李瑁の妻、楊玉環を玄宗に引き合わせ、玄宗がその美しさに溺れるように仕向ける。何と、玄宗は強制的に息子の李瑁と別れさせて彼女を後宮に入れたのである。(その後、貴妃となる。)

楊玉環とは、楊貴妃のことである。後宮に入ったとき、玄宗54歳、楊貴妃22歳だったという。

彼女を喜ばせるために贅沢(ぜいたく)の限りを尽くし、ほとんど何の功績もない一門の楊国忠を宰相に任じたと書かれている。そのために国が乱れ、やがて安禄山の叛乱を招くことになる。玄宗と楊貴妃は長安を脱出して四川省に向かう途中、警護の将兵が楊貴妃を殺せと玄宗に迫った。そこで、玄宗は側近の宦官である高力士に命じて、彼女をくびり殺したという。

信じがたい結末である。日本史を振り返って、ここまでむごい仕打ちは存在するのであろうか。吉川英治の三国志という美化された世界から中国の歴史を知った自分は、本当に中国というものを、全然分かっていないのではないかと思わせるに十分なエピソードである。