【中国古典】 春秋左氏伝 隠公元年①

きっと役に立つ!「中国古典」を真剣に読んでみる

経文

3 夏五月、鄭伯、段ニ鄢ニ克ツ。

伝文概要①

鄭の武公は申から武姜を夫人に向かえた。荘公(寤生)と共叔(段)が生まれた。 荘公は逆子で生まれて母親姜氏を驚かせたため「寤生」(逆子の意味)と名づけられ、そのまま憎まれるようになった。 姜氏は 共叔段の方を可愛がり、これを太子に立てようとするが武公は許さない。

荘公が即位すると、武姜は制の町を段にやってくれと請うが、「険要の地でかつて虢叔(かくしゅく)が立てこもって殺されている。他の町ならどこでも仰せの通りにします」という。京を請うとそれが認められ。(共叔は)京城大叔と呼ばれた。

祭仲は、国都以外の町で城壁が長いのは有害である。京城の城壁は規定を超えており、いまにひどい目にあいますと忠告する。母上の望みだから、害になってもやむを得ない荘公が答えると、姜氏の欲には限りがない、これ以上(欲を)蔓らせてはいけないという。それでも荘公は、不義の行為が重なれば自滅する、少し様子とみようという。

大叔は、鄭の北と西の町を服属させる。
その後公子呂が、一国が二つに分かれることは許されない。もし大叔に国を与えないのなら、片づけていただきたいという。荘公は気にするな、そのうち自滅すると答える。大叔はさらに廩延(りんえん)までも手に入れた。これ以上領地が広くなると、人望があちらに傾きますという。荘公は不義の者には民は心服しない。そのうち崩れるという。

大叔が鄭の国都と襲う計画を立て、荘公が襲撃の日取りを探知すると、もうよいぞと子封に命じて進攻させた。
京の民が大叔段から離反したため、段は鄢に逃げ、 荘公 は鄢を攻めて5月23日に大叔は共に出奔した。

経文の「鄭伯、段ニ鄢ニ克ツ」という記録に仕方については、共叔段は弟としての道を誤ったので「弟ノ段」ととは記さない。二国の君の間のような [厳しい戦闘] だったので「克ツ」と記す。「鄭伯」とするのは、弟を善導できなかった点が批判されている「出奔」したと記されていないのは、 [鄭伯の方にも責任があるので] そう書くのを憚ったのである

感じたこと、思ったこと、考えたこと①

何ていうことのない逸話であると思った。上記は概要と言いながら、各人の科白を除いて伝文のほとんどを比較的忠実に書き表している。よって、伝文そのものは非常に短い記述となっている。普通に本を読むときのスタンスであれば、軽く読み飛ばすような内容であると思った。

最後の段落は、経文をそのように解釈したということだと思うが、「え?そうなの」というのが正直な感想である。そんな風に解釈するのは考えすぎではないかと。また、最後の「出奔」と書くのを憚ったのはなぜかは、ぼかされている。[ ] 書きは訳者が理解を促すために補足したものであるから、もとの文章は曖昧な訳だ。

伝文概要②

荘公は母親姜氏を城頴というところに幽閉し、「黄泉の国に行くまで二度と会わぬ」と誓いを立てたが、まもなくこのことを後悔した。頴谷の封人の頴考叔(えいこうしゅく)はこれを聞き、公のもとにまかりでる。

公が食事を賜ると、肉を取り分ける。なぜかと聞くと、これを母親の土産に持って帰りたいという。自分には母親がいないというので、どういうわけですかと頴考叔が聞く。公がこれまでの経緯を語り、後悔していることを話すと、頴考叔は答えた。

何も悩まれることはありません。地下水の湧くところまで地面を掘り、隧道を降りて母上をお会いになれば、誰も誓いを破ったとはいいませんと。公はこれに従った。公が隧道の底に降りて、「隧道の内、融けるが如く楽しい」と歌えば、姜氏は隧道から出て「隧道の外、楽しさあふれるばかりなり」と歌い、そこでもとの母子関係に戻った。

君子の評。頴考叔は篤孝の人である。自分の母に対する愛を荘公にまで推し及ぼした

感じたこと、思ったこと、考えたこと②

ここも、最初は読み飛ばした。中国古典によくある荒唐無稽な話であり、しかもそれがあまり刺さらない。(例えば、「愚公移山」であれば、最後に天帝が山を動かすのであるからあり得ない例え話だが、その話には含蓄があって感動さえする。)

地下水の湧くところまで地面を掘るとなぜ母親に会えるのか、この方法だとどうして誓いを破ったと誰も思わないのか、隧道で出会った二人の歌もまた陳腐な気がする。

そして、最後に何となくわかった。これは、公にまかり出た頴考叔をほめることが主眼のエピソードなのかと。

さて、ここまで書きながら、これはもしかして自分が無知なだけであって、教養がある人にとっては、すべてが含蓄のある意味を持っているのではないか。そう思い始めた。
福沢諭吉は『福翁自伝』で、「殊に私は左傳が得意で大概の書生は左傳十五卷の内三四卷で仕舞ふのを私は全部通讀凡そ十一度び讀返して面白い處は暗記して居た」と言っているのだから。
時代背景や作者、そもそも『春秋左氏伝』とは何かなど、あまりに基本的なことすら、自分はまだ分かっていないため、次の文章を書く前に予習を始めることにした。次回は、予習の結果を記載することにする。

引用

「古来の制度では、大きい邑でも国都の三分の一、中は五分の一、小は九分の一のはず。しかるに今、京の城墻は規模を超えています。そのうちどえらいことが起こりますぞ」

「姜氏の欲には限りがありません。早手まわしに対処して、これ以上蔓(はびこ)らぬようにせぬと。蔓れば手の打ちようがなくなります。草でも蔓れば除去できぬもの。まして相手は可愛がられている弟君なのですから。」

『春秋左氏伝 上』 小倉芳彦訳 岩波文庫 P24 共に祭仲の進言
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