2021/10/15 父親とのゴルフ

ぎばーノート~ギバー(Giver)という生き方の記録

本日は、数年ぶりの父親とのゴルフだった。父親は5人兄弟いて、うち3人がゴルフをする。昔は、兄弟3人プラス私で行くことがあった。ところが、退職前の2-3年の自分は、心を亡くすような忙しい毎日を送っており、行くことはなくなった。代わりに私の妹の旦那が行くようになっていた。

ただし、やはりここ2年は、父親は膝を悪くしてまともに歩けない状態になったため、そもそもゴルフをしていなかった。さらに1年半はコロナともぶつかっている。

10月1日に緊急事態宣言が明けたことは、世の中にとって本当に朗報であったと思う。実際の新規陽性患者数の激減というファクトが一番強力な安心材料だが、ワクチン接種が進んだことによる安堵感も加わって、一気に外出活動に前向きになった。

父親はすでに80を超えているが、ゴルフに前向きだったので、2人で行くことにした。ちなみに、膝であれが、再生医療の手術を2回やって、よくなっているようだ。本人は、比較的ネガティブ思考なので、失敗だとか治らないとか言っているが、歩きを見て、確実に回復していた。

さて、一昨日91を出している自分は、連続で90台を出せるかという目標を持って臨んだが、果たして結果は105であった。1番は、ドライバーよし、ロングアイアンよし、ショートアイアンよしで、グリーンエッジにつけたが、1メートルちょっとのパターを外してボギー、次もほぼ同じようにショットはよかったが、アプローチとパットで苦しんだ。その後も同様にパットが入らなかった。

ただ、収穫だと思ったのはOBはなくなった。つまり、ど引っ掛けや超スライスが出なくなった。ど引っ掛けは、ルーティーンのおかげで、素振り時に、十分なバックとフォロースルーの軌道を修正しながら臨むことができ、大けががなくなった。超スライスはとにかくシャットにテークバック、これだけである。

最後までパターはだめだったが、16番あたりから、スタイルを定めることにして、いい感触を持てたので、次回への繰り越し課題としたい。

80を超えた父親が、しっかりと1ラウンドできたことを誇らしく思う。本人はぶつぶつ言っているが、それだけで100点だと思う。

うるさい息子なので、シニアティーで打て、水分を摂れ、歩くなカートに乗れと言い続けたが、その甲斐はあったと思う。最初余裕をかましていたが、やはり最後には疲れたと言っていた。年齢からすれば当然のことだと思う。

私は車の運転が苦手だ。車を持っていない理由は、都心に住んでいるというのが第一の理由、車の所有欲がないのが第二の理由だが、その裏に隠れた本当の理由は、車の運転があまり好きでないからだと思っている。

その理由は単純で目が悪いのである。眼鏡は小学校4年のときから掛け始めたが、裸眼の視力は0.03と0.06ぐらい。今ではもっと下がっていると思う。幸い、視野異常、色覚異常はなく、白内障の自覚はない。また、強度の乱視、斜視、弱視などの屈折異常はないため、眼鏡で十分に矯正可能であるが、普段から非常に度の弱い眼鏡をかけて老眼対応している(要するに遠近両用はこの年になっても使っていない)ので、よく見える眼鏡をかけるとすごく疲れるのだ。

今回私のホームコースで回ったのだが、順調に行って、都心から1時間40分近くかかる遠くにある。ゴルフで疲れたあとに父親に運転してもらうのは、忍びないので、私が運転することにした。

ちなみに、私は典型的なペーパードライバーである。前回車を運転したのが、家族で千葉に行ったとき(現地でレンタカー)だから4年ぐらい前か、その前はやはり家族で沖縄に行った時なので、8年以上前になる。

都内に入ったら替わってもらおうかとも思っていたが、パーキングに入って渋滞がひどくなるのも嫌だったので、最後まで運転した。

意外に運転は苦ではなかった。これはちょっとした発見だった。千葉のときも沖縄のときも、常に緊張してハンドルを握っていた。今回は最後東京である。あの狭く速い首都高で右に曲がったり左に曲がったり、一般道での車の量は、房総や沖縄よりはるかに多い。

それでも、ストレスがなかったのは、ちょっと不思議である。高速は100キロを限度として運転し、一般道はプラス20キロをめどに、それ以上はスピードを出さないと決めて運転したのがよかったのだと思う。

そしてなにより、帰りに父親を助手席に座らせて、少しでも疲労度を減らすことができたという、ささやかな親孝行が、自分の気分をよくさせたのかもしれない。

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