6月4日は天安門事件が起こった日である。同じ世代の日本人の中で、私は64について敏感な方だと思う。実際に事件が起きたのは1989年、私は大学3年生であった。アジア科の学生であった私は、北京の天安門広場を学生が占拠し、その程度がますますひどく(ラディカルに)なる現状を見ながら、本当に革命が起きるのではないかと、ハラハラしながら見ていた気がする。とんでもない歴史の転換点をリアルタイムで体験することになるのではないかという感覚であったと思う。
ところが、6月4日の未明に事態は一転する。そのとき、自分は何を思い、どう感じたのか。情けないが思い出すことができない。
私は1986年に自信初の海外旅行に中国北京に行っている。街中を歩いている多くの人が人民服を着、兌換元が流通していた頃の話である。ホテルのラウンジでコーヒーを頼んだら、20分以上待たされてぬるま湯のインスタントコーヒーが出されたのを覚えている。
確かに当時の日本と比べれば、発展途上度合いは甚だしく、誰一人太った人を見た記憶のない中国だったが、歴史上の名所旧跡は素晴らしく、平和で、天安門広場の前を多くの人民が自転車に乗って通りすぎる光景を見ていたので、64の凄惨な光景は、他人事ではなかった。(ただ、実際に当時日本のマスコミがどれほどの映像を流していたのかは、はっきり覚えていない。その後の記憶と入り混じっているかもしれない。)
今の時代、事後的にYouTubeでいくらでも映像を見ることができる。多くのYouTuberの解説もある。Wikipediaにも相当に詳しく書かれている。そのため、私には今十分な時間があるので、かなりの数の映像、記事およびYouTubeチャンネルをむさぼるように見た。
全体像を知るには、もぎせかチャンネルの「天安門事件30周年生放送」がおすすめである。(ご興味のある人は、是非リンクをクリック!)
天安門事件が起きてからもう30年が経過した。これはもう過去の出来事だったはずだが、同じようなことが昨年香港に起こってしまった。私の人生に縁の深い、香港と中国大陸。これらの命運については、終生関心が消えることはないであろう。