現在、11月15日に書いている。この日、グレートインディーズデイで知り合った人がつながって、中野裕弓さん(ロミさん)主催のゆんたくがあった。ゆうたくとは、沖縄の言葉で「おしゃべり」という意味らしい。
このゆんたくは、今から思うと、ロミさんがグレートインディーズデイでイギリス在住のおじいちゃんの元お医者さん(よっしーさん)とつながり、そのご縁で招待されたお二人の元教師の参加が非常に大きな意味を持っていたと思う。
私もよっしーさんから声をかけていただいた一人である。議題は「教育について」であったので、私のことを連想していただいたのだと思う。(私も、グレートインディーズデイのブレークアウトセッションで、よっしーさんとお会いし、その後WhatAppで話したりしていた。)
さて、A4の裏紙に走り書きのメモが書かれているので、それを読みながら、このゆんたくで面白いと思った、他の人の意見を、ちょっと箇条書きにしてみたいと思う。
- Sさん(元教師):人材育成と言われて20年経つが、教えるという感覚を払拭したい。ここに違和感がある。
- Sさん(元教師):平等に・一緒にではなく、きらいなことはきらいでいいと認めてあげることが大事。
- Aさん(元教師):先ほどから家庭の教育が大事、親の責任といった話が出ているが、その考えは「おこがましいです」。親の責任は3歳まで、そこから先は親の責任はほとんどない。
- Aさん(元教師):日本の教育を変えるには、まず目的を変えないと無理である。優秀な国家公務員を育てるから子供に考えさせる教育に変えないと。
- Aさん(元教師):(他の人の発言を受けて)こどもにとって大事なのは「あこがれ」である。自分がどうなりたいかというイメージが持てるかどうか。思いは実現するのだから。阪神タイガースは矢野監督の下「予祝」している。「予祝」を授業に取り入れよう。
「予祝」という言葉は知らなかったし、矢野監督が言っていることも全然しらなかった。でも、ちょっとググるとすぐ出てきた。(「矢野阪神日本一おめでとう!予祝トレーナーがエール」)残念ながら2年連続2位であるが、「予祝」しなければもっと低迷していたのかもしれない。
- Cさん(ベルギー在住):モンテッソーリ教育の学校に子供を通わせている。まずは家庭から。子供を1人の人格として認めて行こう。誰とも比べない。全く日本と違って最初はとまどった。(「モンテッソーリ教育」Wikipediaはこちらのリンクを参照。)
Aさんのご自身の経験を踏まえた熱い意見に圧倒された。教師として自分が正しいと思えることを試行錯誤で、体当たりでやってこられたが、最後まで周りの大人たちには十分に理解されない部分があったのではないかと思う(私の勝手な想像)。親の責任の話はもう少し聞いて見たかった。
最後に自分の子供たちを見ていて、親目線からいいたいことはいくらでもある。人生が長い分、経験値としてあーしろこーしろと言いたいことは山ほどある。でも、自分が同じ年のころ本当に今の私が思っているようなことができたのかと言えば明らかに否である。
また、周りの環境変化が、自分のころと比べて10倍ぐらい速い世の中において、すいすいと生きている。これは本当にすごいことで、我々世代が今10代に戻ったら、精神的に病んでしまう人が大変多いのではないかと思う。よく我慢強くなくなったとか、考える能力が失われた、と批判されているが、百歩譲ってそれが正しいとしても、その精神があれば、今の時代を生き抜くことができるかと言えば、違う気がする。
経験値に関しては、今でもこどもにがみがみ言ってしまうのだが、こんな社会人としての常識もいつまで続くのか分からない。人としてリスペクトされない行為は慎むべきだが、私が大事にしてきた社会人としての礼儀というものも、もしかしたら昭和の遺物かもしれないと思ったら、もう少し謙虚にならないといけないと思った。
これは非常に個人的なことだが昨日の反省である。