2021/10/19 追補
2021年10月19日に、このカテゴリーは「ぎばーブック~ギバー(Giver)からの『本』の紹介」のサブカテゴリーに変更となりました。
加えて、このコーナーは当面休刊とします。
(2021/8/19、2021/9/27に加筆しました。)
カテゴリーのタイプ
「ぎばーブログ」は「雑記ブログ」に該当しますが、このカテゴリーは、「特化ブログ」というイメージで運営します。記事タイトルの頭に【中国古典】と書くことにします。これは、「ブログ(トップページ)」を開いたとき、何の記事かを一目瞭然とさせるためです。「ストック型」の記事となります。
きっかけ
冒頭にお伝えしておかなければならないことがあります。私は、中国の歴史学者でもなければ、中国哲学・思想の専門家でもありません。博士、修士はもちろんのこと、この方面での学士でもありません。
それにも拘わらずこのような無謀とも思える取り組みをライフワークとして始めようと思いました。それは、会社を辞めることを決めて、さてこれから「何をやろうか」とゼロベースで考えていたときに、そういう流れが起きたからです。
もう少し詳しく書きます。中国大連で一緒に働いていた私の同僚に、「おすすめの本はありますか」と聞いたのです。前職時代のメールアドレスでやり取りしていたため、詳細は思い出せなくなってしまいましたが、私が当時オンライン中国語レッスンで読んでいた、六六さんの「蜗居」の話をした流れで、聞いたのだと思います。(別のところで、「蜗居」については、記事を書きましたので、ご興味のある方はリンクをクリックしてみてください。)
そうしたところ、3週間ぐらい経って、忘れたころに返信メールが来たのです。それは非常に丁寧な回答でした。「自分は本をあまり読まないので、『人生、本を読むことにしか興味のない』父親に確認しました」と。
まずは中国の四大名著から読んでくださいと書かれていました。Wikipedia日本語版では四大奇書の紹介があります。お父様がお勧めするのは、「紅楼夢」「三国志演義」「水滸伝」「西遊記」でした。はっきり覚えているのは、「紅楼夢」が最初であったことです。
ここからは蛇足ですが、事後的に調べると、四大奇書は「三国志演義」「水滸伝」「西遊記」「金瓶梅」の4つであったことが分かりました。そこで、その後「『金瓶梅』はあまりお勧めではないのですか?」というやり取りをしました。答えは、「お勧めしない」でした。
そこで、ふと気づいたのです。「あっ、時間があるから、読める!」と。「紅楼夢」は大学受験の世界史で覚えた記憶があるし、何となく遠い記憶から、私がその授業の魅力に取りつかれていた、駿台予備校の世界史の大岡俊明先生が「最高傑作」と勧めていた本だった気がしてきたのです。(大岡先生の話は、またどこかで書いてみたいです。)
そこからは、自分が不思議と中国に縁があって今に至ることが紐づけされて、「残りの人生でこれをやろう!」と一気に決めてしまいました。
それが、2020年11月です。半年経った今も、気持ちは全く変わっていません。
(2021年9月27日加筆)現時点で気持ちは変わっています。少なくともはっきり言えるのは、ワクワクするような感じや寝食忘れて没頭するものにはなっていません。
タイトルに込めた想い
「きっと役に立つ!」という言葉には、ちょっと前のめりな自分の気持ちが入っています。素人だからこそ、現代人にとって役に立つものを、囚われなく自由に書けるのではないかと思っています。
「真剣に読んでみる」というのは、私の覚悟です。丹念に読んでいきたいと思います。当初は、本の章ごとに読んだ時点で、どんどん連載的に書いていこうと考えましたが、長大な物語には、ありとあらゆる伏線があるし、あとから遡って、書きたいことがどんどん増えていく可能性を感じるので、1作品を読了したあとに、書き始めることに決めました。
『中国古典』としてのは、私自らが守備範囲を広げたかったからです。『中国古典』ですから、小説に限らず、歴史書、古代寓話、民間故事、哲学まで広げていきます。こうすることで、変に狭いジャンルに縛られることなく、読みたいと思ったものから自由に進めることができるので、かえって私にとっては心地よく、挫折しにくいものにもなると考えております。
まずは、「紅楼夢」から連載します。
2021/8/19追補:大連時代の同僚のお父様から、中国四大名著を勧めていただき、『紅楼夢』から読もうと決めておりましたが、物語が長いのもさることながら、なかなか先に進みません。そのため、『紅楼夢』からスタートするというルールを変更します。9月末までには連載を開始できると思います。
2021/9/27追補:9月を待たずに『春秋左氏伝』からスタートしておりますが、現時点で筆が止まっております。読み進めている中、当時の史実(あるいは言い伝え)に対する解釈や教訓が、自分の中で腑に落ちていないことが最大の理由です。
少なくとも初回のアップしたスタイルでの連載は難しいと感じております。【中国古典】を本の体験記の一部として何とか生かせないか、現在検討中です。