2021/7/21 ラグー婦人

水曜日は、男声合唱団で仕入れた情報が続く。今回も同様である。ラグー婦人は、マリー・ダグー伯爵夫人、19世紀に活躍したピアニストであり作曲家のフランツ・リストの愛人である。

ラグー婦人について、持ち合わせている知識は何もなく、ネットを検索してもあまり出てこない。ダグー伯爵と1935年に離婚して、リストとスイスに逃避行したにも関わらず、結婚せぬまま1944年に分かれている。
その理由は、Wikipediaのフランツ・リストには、身分と人種の問題が大きいと示唆されている。

さて、愛人関係にあった訳だが、リストとの間に3人の子を授かった。うち、次女のコジマ・リストは後にリヒャルト・ワグナーと結婚する。ちょっと調べていくだけでも面白いことが、芋ずる式にどんどん分かって来る。

コジマ・ワーグナーは、なぜが悪いイメージしかなかった。その間違った擦り込みはどこで生まれたのかも思い出せない。形式的に履歴を負うと、コジマは当時の大指揮者ハンス・フォン・ビューローの妻であった。にもかかわらずワーグナーにひかれるようになり長女を産む。その後も離婚せぬままワグナーとの同棲生活を始める。その後、ハンス・フォン・ビューローとの離婚が成立して、ようやく2人は結婚する。
コジマとワグナーの年齢差は24歳(知り合ったときは、コジマ25歳、ワグナー49歳)。父リストとワグナーは2歳しか年が違わない。ワグナーがビューローからコジマを奪ったと考えるのが普通であろう。

どうやらリストは才能のあるワグナーに資金援助をしていたらしい。ところが娘を略奪されリストは激怒したという。また、コジマの夫ビューローは、ワグナーの信奉者だったというから、ワグナーという人物は、筋金入りのトンデモない奴のようだ。(後述の『トリスタンとイゾルデ』の初演が1865年6月で、指揮者はビューローである。その1865年に、ワグナーはビューローの妻コジマとの間に長女イゾルデをもうけている。)
ワグナーについては、あまりの傍若無人さに逆に興味を持ったので、後日調べてみたい。

さて、とりとめもないが、コジマとワグナーの間に生まれた子供の名前が、長女イゾルデ、長男ジークフリートであることも知らなかった。ワグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』、『ニーベルングの指輪』の第3作『ジークフリート』が、子供の名前だったとは。ただし、順番は作曲の方が先であるし、そもそもイゾルデもジークフリートも神話・伝説に出てくる人物なので、単に子供の名前をそれに合わせたというにすぎない。

ろくに知りもしないで短絡的に結び付けるのは、拙速と承知しつつ感じたことは、リストは「リストマニア」と呼ばれるファンと情事に耽ったと言われる。後に2歳違いのワグナーに、愛人との間にもうけた子供を奪われるというのは、なんとも皮肉である。

私はクラシック音楽愛好家である。中学校1年生の時分から区の図書館に通って、レコードを借りて、それを家で静かな環境下でカセットテープにダビングする、そういった生活を送っていた。社会人になってからは聴く機会が減っていったが、それでも愛好家期間が長いので、知っている作曲家や楽曲数も、それなりの数に上っている。

しかし、この記事を書いてふと思ったのだが、リストとワグナーが完全に抜け落ちている。リストはそれでもピアノ作品が多いので、一定程度聴いているが、ワグナーはてんで知らない。本も買ったし、ヘルベルト・フォン・カラヤン演奏の「ニーベルングの指輪」のDVDも持っている。にも拘わらず、この年まで全く聞くことはなかった。少なくとも今の今まで触手が伸びなかった。

今は時間があるので、ちょっと試しに聴いてみようか、という気に少しなった。

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